ビニール傘、みたいなふたり


「11月分の雨が今日一日で降るんだって」

スマホを眺めながら消え入りそうな声で彼女が言った。窮屈なシングルベッドで身体を寄せ合い、僕はちょっとだけムダ毛処理の甘い彼女のすねを足裏でさする。少し汗ばんだ身体が布団の中で蒸されて、お互いの体温が近い。

「みたいだねえ」
天気のことはあまり気にしない性分だったので、なんとなく雨が降るのだろうくらいの感覚しかなかった僕だったが、瞼の重さに追いやられ適当に会話をつまんだ。

「雨ってさ、こう、ふと会話を打ち消したり、二人きりにさせたり、好きなんだよな」

罪悪感と気だるさが相まって、思ってもないことを口走る。

「私は嫌い。湿気で髪の毛がぐしゃぐしゃになるし。…あとさ、なんか朝からロマンチストぶるなよ、賢者のくせにめんどい」

早口な彼女はそう言って大きく息を吸い込んで、寝返りを打つ。会話に心がないといつだって良いことはない。
時計は11時を回っていた。もはや朝でもない。ローテーブルには飲みかけのチューハイやポカリ、乱雑に脱ぎ捨てられた下着やコンドームの箱がベッド脇の床に散らばる。髪の毛からは嫌な煙草のにおいがする。

「そしたらさ、今日はもう雨がすごいからさ、帰らなくていいんじゃない」

軽薄な論理で彼女を抱き寄せようと、その小ぶりな胸に手をやるも、汚物を払うような手で振り払われる。

「言うと思った。ダメだよ。今日は。彼氏が来るから」

「そうだよね」
僕はそうとだけ言って、床に落ちた下着を拾い上げ、彼女に手渡した。

「雨の日が嫌いな理由、もういっこあった」
重々しく身体を起こしブラジャーを付けながら彼女は言った。

「何?」

「んとね、雨の日にコンビニに行ったら、私は傘は傘立ての左上に差すって決めててね。それなのにいつも違う人に持ってかれちゃうんだよね。」

「あー、あるよね」

「そんなに間違えることある?そうしたらさ、私だって自分のものじゃないのに自分のものだと自分を騙して持っていかなきゃいけないでしょ、だって私が濡れちゃうもん。私の傘をうらやましかったわけじゃなくても、その場しのぎで、何でもいいんでしょ。ビニール傘だもんね、似たものだもんね。だから雨は嫌い」

朝から捲し立てる彼女に苛つきながら、少し間をおいて僕は彼女をもう一度押し倒し耳元に手をやりながら言った。
「君はさ、やっぱり何者でもない自分を大切にされたいんだと思うよ。それでいて誰のものにもなっちゃう自分が嫌いなんじゃない?本当は雨が嫌いなんじゃなくて、こうして迎える朝が嫌いなんじゃないの」

彼女は僕の手に噛み付き言う。
「勝手に見透かしてくるところが嫌いかな。こっちはモザイクかけてんだよ。勝手に解像度上げんな」

僕は彼女のこういう口の悪いところが好きだ。心の奥底の大切な自分を守るための、生存本能としての口の悪さのようなものが。

彼女は続けた。
「あんたはさ、手に入りそうなものが好きなだけなのに、それを運命だなんて言ってごまかすつもり?運命かどうかなんて結果論でしかないよ。こうして会えなかったら運命じゃないじゃん。そうして切り捨てられた『運命』こそ大事にしたほうがいいんじゃない」

彼女の語調とともに強まっていく雨音が僕らの会話を打ち消していく。雨は二人きりにさせてくれる、だから好きだなんて言ったけど、今はこの居た堪れなさを煽り立てる雨が憎くてしょうがなかった。

「じゃ、そゆことで」

彼女は手際よく着替えを済ませ、足早に家を出て行った。外はひどいどしゃ降りで、彼女が出て行った以上の孤独をやたらと助長してくれた。深く息をついたあと、念のため鍵を閉めようかと玄関へ向かうと、置いてあったビニール傘が目に入った。

「似たもの同士…か」

たしかに違いなんてほとんどない。それでも、彼女が持ち出した傘は、紛れもなく、僕の傘だった。

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