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長男の使命

 いろいろな条件があると思いますが、私は人生で施主と喪主を1度はやらなければならないと言う当たり前のような事実に、つい最近ですが気が付きました。この回数が2度や場合によっては3度を経験している方もいらっしゃるかも知れませんが、それはあまり幸せな状況では無かったのではないかと推察されます。
 すでに一ヶ月以上も経過した話になりますが、母が喪主で私が施主の通夜と葬儀が行われました。私の友人や知り合いには、このような経験をしている人もいるので、その順番は年齢とともに足早にやってくることは理解できていました。
 しかしながら、その順番がいとも簡単に「ぽん!」と目の前に提示されると、生前との関係性が断ち切られるとどうなるのか?があまり上手く理解できなくなります。自分では、かなり冷静で、ある意味では非情に思われるかも知れない誤解を与えてしまうほど感情的にはなっておりません。それが、何の意味も持たない(ある意味においては、大変重要であり必要ですが)ことであることを理解しているからです。
 大切なことは、失われた故人の穴埋めを多角的に、どのようにしてゆくのが最善なのかです。これは最短である必要はありません。いろいろな意味において、時間的な猶予は必要です。急過ぎたり、あるいは鮮やかすぎたりすると事前に準備していたのではないかと在らぬ疑いの眼差しを向けられます。可能な条件と不可能な条件を先ずは家族を中心として組立ててみて、粛々と進めるべきだと感じております。
 実は、このnoteはかなり前から書き始めたのですが、この間に考え方や書き進める障害になることが幾度となく起きました。その度に修正したり、書き戻りてみたり、改めてこのようなことを書き始めたことに対して落胆もしました。

 何故、今日、やっと書き終えることができたのかと言えば、心休まる時間と書く時間を作ることができたに他なりません。私は、普段の生活で最も心がけていることは、オーバーワークにならないことです。裏を返せば、オーバーワークだらけだということなんです。忙しいという言葉を使わないことにも配慮しています。本当に忙しいときに、忙しいかと聞かれてもその忙しさを認識できませんし、そんなに忙しい人に対し、そのような言葉をかける人もいないでしょう(笑)。

6月21日の官報に掲載されました

 今月の5日に東京へ行ってきました。父の奏授した叙位の証を代受するためにです。これは、叙位伝達式と呼ばれるもので、今回は国土交通省港湾局港湾局長から伝達されました。この叙位は一般社団法人 日本潜水協会の方々の多大なる協力なしには考えられなかったと感謝をしている次第です。「正六位」とあり、岸田内閣総理大臣名が記されておりました。黄綬褒章を小泉さん、旭日小綬章は安倍さんからいただき、当時の噂になった「桜を見る会」の招待を受けていました。

茨城県北茨城市五浦(右端に六角堂)

 四十九日の法要と納骨、その後の精進落としを父親の生まれ故郷である大津港で行いました。

コンベンションホールでのマスク会食

 来月には、慌ただしく「初盆」があり、涙が乾く間がないのではなく、悲しんでいる暇もなく時間が過ぎてゆきます。今に至っては、故人に対する私たちの選択が正しかったのか、他にも方法があったのかと言う、堂々巡りの話を残された母親と顔を合わせると3回に1回くらいの割合で話をします。お互いに結論が出ることが無いのを理解しているのですが、飽きずにしています。延命治療は行わない、過剰な医療は望まない、本人が苦しまないようにとなれば、あまりにも呆気ない終末が訪れるのは必然な気がします。何が正解かなんて誰も分かりません。多分、正解は無いような気がします。しかしながら、結果は必ず訪れます。その結果を家族が受け入れられるかどうか、と言うことが大切なのだと学びました。今は、それが鉄家の長男の理解であり、私の正解です。

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