新年と自立と自律
気づけば年が明けていた。
今年もよろしくお願い致します。
三ヶ日が終わると日常が戻ってきた感じがしますね。
今年も無理せず程々に働き遊ぼう。
「自分はやりたくなかった」「好きじゃなかった」
みたいな泣き言を後出しで繰り出してくる方を目にすると、格好悪いなあと思う。
嫌ならやらなければよかったし、関わらなければよかったのに。
どれだけ選択肢が少なかろうか最終的に選択したのは自分自身なのに、どういうロジックでそんな言い訳が生み出されるのか不思議で仕方がない。
自己責任論って何故か批判されるけれど、それは自立と自律からは決して切り離せないと思うんだが。
自身から生み出された諸々については、自分自身が責任を負うしかない。
あたりまえのことなのに。
後になってその手の言い訳に逃げないように、
そもそも自分がやりたくないことは絶対にやらないと決意して生きていった方がいい。
誰が何と言おうと絶対にやらない。
泣こうが喚こうが、やらないことによりどんな不利益が生じようが、やらない。
ん?
相手が嫌な思いをしたり困るからやる?
断ると後から自分が困るからやる?
いいよいいよ、勿論。
どんな理由だろうが、自由意志に基づく選択を否定するつもりはない。
でもじゃあ自分自身が「やる」という選択をしたとメモしておいた方がいいよ。
後から言い訳なんてできないように。
みんな都合のよいように物事を忘れがちだからね。
ほら。
こうした感じで、嫌なことをすると、自分の意思で決めている。
消去法による選択だろうが、現実問題として択が一つしかない場合だろうが、選んだのは自分だ。
忘れてはいけない。
ちなみにぼくは何がどうなろうが、やりたくなければ絶対にやらない。
そう決めている。
だから後からそんなみっともない言い訳はしない。
「やりたくないからやらなかった。で?」
としか言わない(言えない
それは生きていれば間違った方向に追い込まれるような場合もある。
自らの意思は限りなく希薄な状態で、数少ない選択肢から選ばなければならない場合もある。
厳しいことを言うようだけれど、それでも最終的にそれを選んだのは自分自身だ。
それなのにまるで自分を被害者の如く語ってはならない。
選ぶ過程で失敗するのはどうでもいいけれど、自分で自分のことを決めるという権利と義務を放棄するような真似をするべきではない。
次もまた選ばなくちゃいけないんだぞ。
死ぬまでずっと。
正解なんてわからない理不尽な二択、三択を、人間は死ぬまで続けていかないとならないのだ。
「やりたくないのにやらされた」
なんていう小学生みたいな言い訳は誰も聞いてはくれない。
選べ。
責任も取れ。
それが大人だ。
そうした在り方からは逃げられないんだから、どれを選んでも適当に楽しめるメンタリティを育てようぜ。
大丈夫。
あと50年経てばみんな大体死んでいるから。
怒りや悲しみ、後悔なんて、もう少し経てば肉体ごと消えていく。
自立と自律を忘れないように。
誰のせいでもなく、全ては自分のせいだと理解して大らかなきもちで全てを受け入れられるように。
1年は短いぞ。
来年の今頃は少しでも完全な人間に近づけていれたらいいな。
みんなも。
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