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否認の病 『アルコール依存症』
元TOKIOの山口達也さんの飲酒運転が世間を騒がせています。
いまだ「意思が弱い」「仲間や関係者の信頼をまた裏切った」等のアルコール依存症という病に理解のない辛辣なコメントも耳にします。
かつての彼と同じ、いやもっと深い闇とアルコールの底無し沼で16年間、もがき続けてきたアルコール依存症者として彼の心情は痛いほど理解できます。
アルコールを口にしてはいけないことは、誰よりも理解しているはず。
にもかかわらずアルコールを口にしなければ生きていけないという矛盾。
アルコールくらい意思の力でやめることができるという儚い希望と、意思の力でやめることのできない現実と自己嫌悪。
光のみえない底無し沼。
この不可思議な病からの脱出は、すべてを受け入れ、無力を認め、一人でたたかうことを諦めること。
完全降伏し、自我を手放すことでしか回復の道のりは始まらない。
無力を認め、すべてを手放すチャンス!!
のはずでした。
周囲の入れ知恵か、頑固な自我の芽生えか、勾留中に飲酒運転認識の事実を一部否認する発言に転じたそうです。
この不可思議な病からの回復には、自らが病や人生におけるお手上げする底つき体験が不可欠です。
貴重な底つきの機会を邪魔し、さらに深い闇へと追い込む頑固な自我や関係者たち。
アルコール依存症という不可思議な病のドアは、ほんの少し開いたばかり。
ドアの先に待つものが、希望の光であることを同じ経験をした一人のアルコール依存症者として祈らずにはおれません。