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両親と先生と葛藤と


たくさん心情を書き殴ったメモが出てきたので少しずつ残していきます。
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新しい技術でカテーテル治療ができるかもしれないから手術を延期にしよう、と、手術日程が決まる1ヶ月に外科の先生から電話がかかってきた。
その直後の通院時の話。

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通院の日。
開口一番、内科の先生は「手術いつにする?」といった。
外科の先生の電話の件はおろか、同先生の診察の件(手術延期の方向で話が進んでいた)も伝わっていないようで、
母がそのことを話したら、先生は、「それは誤解だよ」「はやく手術をしたほうがいい」
と少し笑っていた。
先生は、手術をしない道はないと考えているんだってことは一目瞭然で、
母がパニックで取り乱しているのもまた、一目瞭然だった。
私は至って冷静で、少しほっとしたくらいだったのに。
やっと終わる。もう、決まるんだって。

母と先生の、割と不毛にも思えるやりとりが続いて、
隙を見て私は覚悟してたからいいよって伝えたら、そのまま手術が確定した。
もう抵抗しないでほしかった。

どうやら私の心臓は、カテ適応の可能性が低いらしい。
そして適応の範囲が広まるまでの数年間、待ってる余裕もないらしい。
第1、 カテだと弁置換しかできないし、私がいじるべきところは本来3か所だ。
それに関しても、外科の先生は3か所なんて無理だと言っているようだけど。
内科の先生が説得してくれるそうだから、やっぱり手術が最善なんだろうね。
そんなに悪かったのかね、こんなに元気なのに。
元気?・・・や、そうでもないか笑

父はセカンドオピニオンを進めてきた。
いきなりでてきた大学病院の先生より、20年お世話になった内科の先生を信じたい。
だから断った。

ずっと、どうして両親が、こんなにも手術に拒否を示すのか、疑問だった。
私が受けるのに。
痛いのも、しんどいのも、私なのに。
でも、そうじゃなかった。

父と母は、最初の手術が、記憶に残っていて、
文字通り、私がかわいそうでしかたなかったのだろう。
再手術は確実だと告げられてからの20年間、
二人はカテと生体弁の進歩を、ずっと願ってきた。
自分なんか恵まれているほうで、心臓を止める手術なんて皆やってるんだからって、
そうやって澄ましてきた私と違って、
まっすぐに、願ってくれていた。

それが20年を経て現実となって、ついに認可のときがきた。
あと数年待てば、私の今回の手術は免れた。
でも、あと数年が、待てなかった。
そう考えると、しんどいかもしれない。
悲しいかもしれない。
ごめん。

なんか、私なんて寝てるだけで、
オペが十時間を超えても、ずっと待ってなくちゃいけないのは、二人なのに。

でもまあ、大丈夫だからさ。
何事もなけりゃ、いいんでしょ。
大丈夫だよ。私強いもん。
頑張れるよ。

手術してよかったって思ってもらおう。

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