私が術前知りたかったこと、 そう言えば一個忘れていたのでかなり久々ですが追記しておきます。 オペ前の検査項目ですね。 ネットで調べると、径食道エコーとか、歯科検査とか、なんか色々あってドキドキしていました。 いざ、入院予定日当日。 心エコーして、レントゲン撮って、心電図して、 いつもの3点セットだなぁって。 病室入ってから詳しい検査なのかなって。 まぁまさかこれだけなことないだろうなって考えながら、外科の先生の診察へ。 ここで阿呆な私はやらかすのです。 👨⚕️『2週間
おそらく最後の手術レポです。 IEのハイリスクが一年目安かな、と思っていたので、それを乗り越えられましたよ、とのご報告までに。 お久しぶりですが、お暇な時にでもお付き合いください🥰 いやあ、元気ですね。 歩いても息は切れないし、階段も楽々上れるし、不整脈もない。 今振り返って、ここ数年は結構辛かったんだなと実感しています。 近況としては、弁置換したはずの肺動脈弁のところに逆流があるとか、なんだか不穏なお話もありましたが、 まぁ、実生活に支障がでるようになるまではとりあえず
もう一年前だって早いね たくさんどたばたあったし、もめたし、まぁ色々あったけど たとえ今の一時だけだとしても、 こんなに元気にしてもらえて、本当にありがたい。 歳を重ねるごとにどんどんしんどくなって、普通がわからないからってそれにも気づけなくて、気づいた時からはなんかもう色々知らなかった現実がたくさん流れ込んできて、余裕なんてなかったし毎日自分の身体のことしか考えられなかった。 ここ数年、健康な人との違いも、わかってもらえることなんてないんだってことも、痛いほど感じてし
生体弁の経過が良くないのか術後一年にして逆流増えちゃったみたいなので、生体弁置換した人の経過が知りたいです。 なんか良い記事ないかな。 どこ探してもよくわからないから情報収集ができない🥲 私もどっかのタイミングで記録のーこそ。
たくさん心情を書き殴ったメモが出てきたので少しずつ残していきます。 _________________________________________ 新しい技術でカテーテル治療ができるかもしれないから手術を延期にしよう、と、手術日程が決まる1ヶ月に外科の先生から電話がかかってきた。 その直後の通院時の話。 ________________________________________ 通院の日。 開口一番、内科の先生は「手術いつにする?」といった。 外科の先生の電話
You must never think of the whole street at once. You must only concentrate on the next step, the next breath, the next stroke of the broom... That way, you enjoy your work, which is important, because then you make a good job of it. And a
手術のときのこと、後のこと ふとした時に蘇る。 これ、辛かったなって。 本読んでる時とか、テレビ見てる時とか、講義受けてる時とか。 全部書き留めたいのに、全然、ぼんやりとしか、思い出せない。 入院中の日記すら、たくさん漏れてる。 忘れたくないな。 ちゃんと覚えてたいんだけどな。
現代において、SNSやYouTube等、誰でも手軽に発信できるツールはどんどん増えていきます。 子供たちの可愛い動画や写真、日記等、色んなことを発信する親御さんもたくさん見られます。 見ちゃいますよね、可愛いし🥰 私も幸せを分けてもらった気持ちになります。 でも、同時に少し怖くも思うのです。 その子が中学生、高校生になったとき、不特定多数に自分の幼少期が知られているという状況は、時として恐ろしく、恥ずかしいことにはなりかねないでしょうか。 病気であることの発信
お久しぶりです! 術後3ヶ月って節目かな、と思って帰ってきました😆 次回は地元の通院まで飛ばす予定です。(多分) 1人暮らし生活と大学が再開して1ヶ月経ちますが、 何も問題なく元気にやっております! 強いて言うなら痛みですね。慣れつつありますが笑 ズキズキと、術後だって忘れんなよ!って感じで地味ーに主張していて、 ベッドから起き上がるのも、床に寝転がるのも、まだまだ痛みと突っ張った感じがあります。 くしゃみや深呼吸に関しては激痛ですね。 くしゃみの度に縮こまってしまうので一
昨日が術後2ヶ月だった。 すっかり忘れてしまっていたな。 2ヶ月目で術後のレポをしたいと思っていたのにな。 まず、退院後に悩まされたものを挙げていく。 ・貧血 ・低血圧、立ちくらみ ・咳 ・言わずもがな、痛み ・腹痛 ・鼻水 ・耳の不調(聞こえない、こもる) ・食欲不振 ・呼吸苦 ・易疲労 ・痰 ・怠さ ・生理 このくらいだろうか。 咳、鼻水は本当に極端に激しいアレルギーを発症したかと思うほど暴れたのちに、2週間くらいで落ち着いた。(3日でティッシュ2箱ペース) 貧血、立
色んな病院で、ワクチン会場で、健康診断で、大学で、本当にさまざまな場面で、 あなたの病気は治ってるよね? と医療者から聞かれることが多い。 どうしてまた手術するの?とか、 赤ちゃんのとき手術しなかったの?と 聞かれることも多い。 もちろん赤ちゃんのときに手術はした。 じゃなきゃ生きてない。 主治医は、医療者なら普通この病名を聞けば 手術した上で一生治らないということを知っているべきだと言っていた。 だけど、徐々に悪くなっていくことも、 10代以降で手術し、生体弁の弁置換なら
結局夜はほとんど眠れなかった。 全く眠気が襲ってこないし 横になっているより座っていた方が 痛みも呼吸も楽なのだ。 朝から採血と超音波とレントゲンがある。 どうやらもともと血管が出なさすぎるタイプのようで そこにさらに貧血が加わって 採血難易度がとても高いらしい。 探られるのは痛いけど慣れなければ。 採血頻度は格段に上がるのだから。 いやぁ、かなり難しいぞ、 と看護師さんが音をあげたところで先生のご登場。 色々教えてくれながら、 一発とはいかないものの、初めて右腕で成功した
傷の痛みが強く感じて 夜中に痛み止めをもらった。 今日は夜に抜糸をするとのこと。 いやだー。 いつかやらねばならないものだと分かっていたが 単純に痛そうで怖かった。 1週間点滴つけっぱなしの左手が痛むようになり あまりにも流下閉塞を起こすので 一度固定し直そうとテープを剥がした。 正直このままつけておくのはとても嫌だ。 痛いんですぅ、、 と地味に抵抗していたら 手が浮腫んでいるかな、と。 続行不可判定。 いったん点滴をやめて先生の指示を仰ぐとのことだったが 利尿剤としての
暇すぎる。 とにかく暇なので、スマホ見ぃ見ぃお勉強。 夜はバイタルチェックの度に起きてはいたが なんとか少しずつ眠れたようだ。 朝いちで採血をした。 ヘモグロビンの値が2くらい上がったそうだ。 ま、ゆうて大貧血には変わりないのだけれど。 想定よりも貧血になってしまったようだが 私が不快に思っていないから問題なかった。 元気?鈍感? ふらつきもしないし頭痛もしない。たまにしか。 『何が何でも自己輸血』スタイルは私に合っていたのかもしれない。 当たり前だが、首と右手首と胸部の
一睡もできずに朝が来た。 全く眠気がない。 流石に一睡もしない日が続くのはまずいのではないかと心配になってしまう。 今日は眠剤を処方してもらおうと言ってもらえたが、昨日は2回飲んでも眠れなかったから、 そんなに期待はしないことにする。 そういえば、胸水が利尿剤で減らなかった場合 もう一度ドレーンをすることになるよと言われていた。 再ドレーンって麻酔なし? 局所? それとも再手術? てかまた抜くの、、、??? 私の退院までの不安はひたすらそれになってしまった。 朝ごはんは全
気持ち悪すぎて一睡も出来ず。 眠剤2回は夢なのか。 一晩中もう嫌だと唸っていた。 弱っちい大学生だ。 気を紛らわせるためにシンデレラのビデオを見せてもらってやっとようやく待ち侘びた朝。 ついに尿カテとAラインと首のカテーテルが抜けた。 首の管を抜くのは怖かったが、どうやら杞憂だったようで。 糸をぶっちぶっち切る音が聞こえる。 しかし痛みはない。 先生に聞かれるまま、大学の話をしているうちに にゅるにゅると管が抜けていく感覚。 手首も首も止血が長かったが 痛みがなくてなにより