橋とアイドル① ~鈴木エリ、アイドルになる~
あらすじ
1.鈴木エリ、アイドルになる
「東京に出てアイドルになるか。全然イメージ湧かないな」
橋の高欄にもたれながら私はつぶやいた。夏場には熱くて触れられなかった鋼製高欄も、朝夕の時間帯にはひんやりと冷たく感じられるようになった。季節はもうすぐ秋。高校二年の秋ともなれば誰もが進路希望を固める頃だが、私は降ってわいた『アイドルになる』という選択肢をどう捉えればよいのかわからずにいた。
私はこの夏休みに友達と東京へ遊びに行ったときに芸能事務所の人にスカウトされた。街中で買い物をしている姿がスカウトの目に止まったらしく、東京の高校に転校してアイドルを目指さないかと誘われたのだ。
私は自分の人生において、アイドルになりたいと考えたことなど一度もない。芸能界というのは田舎暮らしの自分には縁のないものであって、テレビやスマホの中にだけ存在する仮想の世界だと思っていた。それが自分の現実に関係するなんて想像できないし、アイドルにならないかと誘われてもまるでピンとこない。
むろん家族は反対している。「こんな田舎娘がアイドルにスカウトされるはずがない」という父母の主張はおそらく真っ当で、父に言わせれば、詐欺、もしくはいかがわしいビデオに出演させられるかの二択らしい。まぁ、そうかもしれない。自分にアイドルの素質があるとはみじんも思わないし、そもそも私は色々な部分でアイドルっぽくない。髪型はショートで身長は170cm近くある。その時点でアイドルとしてはあまりいないタイプだろう。手脚が長くてモデルさんみたいだねと言われることもあるけれど、モデルさんほどスレンダーな体型じゃないし、田舎育ち感全開の女子高生だと自覚している。友達とは明るくしゃべるほうだから活発な人間だと思われがちだが実はそうでもなく、本当は一人で居るのが好きだ。それどころか人が多いところは正直苦手で気分が悪くなることさえある。さらに言えば私は自己顕示欲ゼロの人間だ。他人にチヤホヤされたいと思ったことは一度もない。こんな人間がアイドルになれるだろうか?
だから、両親が言うことが正しいのだろう、と初めは思っていた。だが、念のために自分を誘ってくれた事務所のことを調べると、そこはそれなりに大手の芸能事務所であることがわかった。誰もが知っている芸能人がたくさん在籍している事務所だった。スカウト自体は嘘でも詐欺でもなさそうだ。だがスカウトが嘘ではないとわかった今でも、私は村を出て東京に行くという結論を出せずにいた。
私が生まれ育った村は限界集落といっていいほどの田舎だ。
友達の間では「さっさと高校を卒業して、こんな田舎から脱出してやる!」というのが合い言葉なのだが、この村のことが好きな私は安易にその意見には同調しない。
この村には好きな場所が沢山ある。その中でも、私は家の前にかかっている橋が好きだった。私の家の前を通る道路を挟んだその先には幅30mほどの広幅の川が流れていて、それを渡河するための橋が、わが家の玄関から出た真っすぐその先に架かっていた。橋の幅員は約3m。車一台が通るのがやっとの広さで、車のすれ違いは完全に不可能だ。車と自転車のすれ違いですらもギリギリだろう。現代の感覚からすれば歩行者専用の橋にしか思えない幅員の橋だけれど、たまには車も通るし、双方からきた車が譲り合う姿もよく見かける。とはいえ特別な橋ではない。古くて平凡な、単なる三径間のコンクリート橋だ。
私が物心ついた頃から、この橋は家の前に架かっている古い橋だった。
私は以前、「この橋はいつ出来たの?」と母に尋ねたことがある。母の話によれば、この橋は母が子供の時にはすでに架かっていたらしく、さらに祖母に聞いたことで、ようやくこの橋の架設時期が判明した。祖母が子供の頃に旧橋から現橋に架けかえられたとのことだった。つまりこの橋は架設されてから六十年以上が経過していることになる。それなりの老齢橋だ。
私がやたらと橋に興味を持つのを父が面白がり、村の図書館に私を連れていってくれたことがある。図書館には郷土史のコーナーがあって、そこで橋のことを調べることができた。それによれば今の橋は三代目らしい。初代の橋が架けられたのは約百二十年前。地元の資産家が私財を投じて架けたものだとわかった。個人が私財を投じて橋をかけるなど今では考えられないが、父いわく、昔はそのような橋がそこそこあったそうだ。約百年前に初代の橋は洪水で流されてしまい、二代目の橋を今度は村が公共工事で架設した。当時としては国内では架設事例の少ない新しい構造形式の橋だったようで、郷土史には開通式の様子を伝えた白黒写真付きの新聞記事の切り抜きが載せられていた。そして祖母から聞いた通り、六十年前に老朽化に伴う架け替え工事が行われて、今の橋になったと記録されていた。
子供の頃の私は、橋の上で近所の子供たちといつも日が暮れるまで一緒に遊んだ。中学になってからはさすがに橋の上で遊びはしなかったけれど、中学三年生の時に初めてできた彼氏と夏祭りの帰りに橋の上で長時間話し込み、親に「あんたら何時間話してんのよ、いいかげんにしな!」と怒られた思い出ならある。高校受験が近づいて部屋にこもる日が増えた後は、勉強の合間にぼんやりと橋を眺めて息抜きするのが好きだった。高校に無事合格できたのは橋のおかげかもな、と私は思い、高校の入学式の日に父に頼んで橋を背景にした記念写真を撮ってもらったりもした。その写真は今でも私の勉強机の上に飾ってある。
ここ最近の私は、部屋からぼーっと外の橋を眺めながら東京行きのことを考えることが多い。けれど気持ちは一向に固まらず時間だけが過ぎる。そんなときに、ふと、橋の上でも散歩して気分転換するかと思い立ったのが一時間ほど前だ。私は家から外に出て橋の上を歩くことにした。橋の上は毎日のように通るけれど橋を味わうように丁寧に歩くのは久しぶりだった。舗装の感触を確かめて歩き、冷たい鋼製高欄を手で撫でた。そして、橋の真ん中あたりまで進んだときに誰に話すわけでもなく呟いたのがさきほどのセリフだ。
「東京に出てアイドルになるか。全然イメージ湧かないな」
私はそこに呟きを追加した。
「私なんかが東京でアイドルやれると思う?」
私は高欄に身体をあずけて眼下の川を眺めた。
キラキラ光る水面とホワイトノイズが混じる水音の組み合わせが気持ちいい。
同じ景色、同じ音が延々と繰り返されている気もするし、一瞬たりとも同じパターンは無いようにも思える。気持ちを落ち着かせてくれる安定感と常に何かを気づかせてくれる新鮮さ、この空間にはその両方が同時にある。その感覚にしばらく浸っていると、アイドルに挑戦するのも悪くないかも、と思えてきた。
ダメならこの場所に戻ればいい。自分の性格からして、アイドルとして売れなくても惨めに思うことはないだろう。そもそも私はアイドルに憧れているわけじゃないし、どちらかといえば新しい世界を知りたいという好奇心のほうが強い。
私は橋のたもとに向かって来た道を戻り始めた。橋の端部に設置された立派な石製の親柱へとたどり着く。周りには誰もいない。それを確かめると、私はこっそりポケットに忍ばせていたカッターナイフを取り出して、親柱の裏にガリガリと文字を刻み込んだ。
「私のこと見守っていてね」
私は東京へ旅立つと決めた。
その僅か一カ月後、私は東京の高校へ転校し、アイドルへの道を歩き始めた。
(続く)
第二話
第三話
第四話
第五話
第六話(最終話)
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