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なぜ書くのか ~大学院で精神を病んだあとで~

 去年まで7年間大学院にいたが、研究をやめて暮らすことを優先する選択をした。

 研究をやめたのには、いくつか理由がある。結婚して沖縄の山奥に住むようになったから。とりあえず、働かないと暮らせなかったから。大学のシステムにうんざりしたから……。
 前向きな選択のつもりだったが、つづけられる精神状態ではなかったことが、たぶん一番の理由だった。
 
 でも、もしかしたらワンチャン、アカデミックポストに就職できるかもしれない、そう心のどこかで思ってきたのかもしれない。研究の道を選ばなかったことに対する未練があるのかもしれない。

 こんな話をするのは、最近、ゼミで一緒だった友だちが新聞に連載することになったからだ。
 かのじょに対して多少の嫉妬心を抱いていることに気づきながら、第一回目の記事を読む。読み進めていくうちに、かのじょの書くことばがすっとからだに入ってくる。大事に問いを温め、書くことを手放さず、生きぬいてきたかのじょの文章は、「書くことは、生きること」だと納得させられるものだった。
 
 日々の暮らしはなんだかんだ忙しく、大事なことでも忘れてしまう。そのせいで、自分やほかのだれかを傷つけること、あるいは傷ついていることを受け入れて黙り込み耐えるしかない、そんなふうに思い込み、振る舞ってしまうことが少なくないように思う。
 放っておいたら、わたしたちは痛みを受け入れたり、慣れたりしていく。そうすべきなのだと周りから植え付けられ、刷り込まれていくからだ。だからこそ、くりかえしことばにして、書き留めておかねばならないのだろう。「そんな必要はないのだ」、と。
 そうして発せられることばは、きっと現実を変えていく。それは、だれも気にも留めないような、ささやかな変化かもしれない。でも、わたしはそこからはじまるなにかに目を凝らしていたい、と思ってきた。 
 かのじょの記事は、そこに立ち返らせてくれてくれたのだった。

 じつのところ、大学から離れたあと、わたしは日記さえ書きつづけられず、ろくに本も読めていない。
 社会人として毎日働きだしてから、日々の細々としたことに振り回され、なにより精神的に消耗される状態がつづくようになった。帰宅後、なにかしようという気力がのこっておらず、頭のなかで仕事のことを考えつづけてしまう。プライベートとの棲み分けがうまくいかなくなった。
 わたしのなかに湧き上がってくることばは、スルスルとこぼれ落ちていく。

 ふりかえってみれば、書くことも読むことも、いまや「特別なこと」になってしまったみたいだ。
 かつてのわたしにとって、書くことは、自分が感じていることや考えていることを、「ある」こととしてまもっていくことであり、読むことは、自分と、同じように苦悩していきただれかと出会い、これから生きていくちからを蓄えることだった。
 それなのに、いま、周りのことばに飲み込まれ、押しつぶされそうになっている。それはきっとことばを発することを放棄してきたからだろう。だれの、なんのために、どうことばを紡いでいくか、設定しなおすときなのかもしれない。

 前述したように、新聞に連載することになった友だちに、わたしは嫉妬した。でも、かのじょの書いたものに救われる自分がいたのも事実だった。むしろ、読んでから時間が経つにつれて、自らの怠惰によってなにもできていない状況を平手打ちしてやりたい、そんな気持ちになっていった。

 だが、やりたいことが「研究」というかたちをとるのか、いまもわかっていない。それに、この状況を「未練」ということばで言い表すべきなのか、精神的に不安定な状態として診断してもらい、治療することが正しいのかもよくわからない。

 それは必ずしも悪いことではないだろう。
 悩みながら、からだを動かし、ことばを紡いでいくことが、ひとつの挫折の先にきりひらかれていく未来とともにあるかもしれないからだ。

 日々暮らしていくなかで、感じていること、考えていること、モヤモヤすることを、ことばにする。
 ときには、黙ったままでは、自分が生きていける場を確保できないかもしれない、という危機感を帯びた状態で、ことばを発することもあるかもしれない。

 そう考えると、ことばを紡ぎだすこと、書くことは、「ある」ものを消させないための行為とも言えるのではないか。あるいは、生きることと深く結びついた営みだ、と。
 友だちが新聞を通して届けてくれたことばから、わたしはことばの、とくに書くことの重みに、あらためて気づかされたように思う。


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