こころのもつれを解きほぐす①
矢野惣一先生の「問題解決セラピスト養成講座」に月1回参加しています。
"セラピスト"という具体的なものを目指しているわけではないんですけど、自分のことばで誰かを癒せる存在になれたらいいな…と思っています。
受けるに至るまでの話はこちら。
(ですます体で書き始めたのに、ウッカリ途中から文体変わってる)
矢野講座ではテキストでの座学もありますがメインとしては演習を使って学んでいきます。
実際に矢野先生が受講者をカウンセリングする様子を他受講者が見守り、カウンセリングが終わったあとにどんな技法を使ったか…などの解説をして貰える。
多分この演習に何よりの価値があるだろうなと思っています。
私は北海道からの参加なので、最後まで参加すると飛行機に乗れなくなるため二日目は毎回途中離脱になりそうです。
2泊すればゆっくり最後まで参加出来るけど、それは子どもたちが慣れてからかな…(慣れてくれるのか)
他の方のカウンセリングの様子を書くことはプライバシー上無理ですが、今回私はカウンセリングを受ける側になれたのでそのことを。
私は、過去に前に漫画にしたカウンセリングと、別なカウンセリングをもう一つの計2つ受けているんですが、その2つで大きな問題を解消出来ているところはあるような気がします。
カウンセリングを受けたこと+その後の心がけの変化によって日常の捉え方が劇的に変わったのよ…。
なので、今回は前みたいにグショグショに泣きながらカウンセリングを受ける…という事はありませんでした。あれはあれで終わった後スッキリするところがあるので、もうあの体験が出来ないのかなと思うと残念なところもある。
とはいえ、初回カウンセリング受けたときも「別に今は悩みないけど、作品づくりに役立ちそうだから行っとこ」っていうスタンスで挑んだのに心の奥にあった痛みを引っ張り出す結果になったので、まだ潜んでいるものもあるかもしれません。
カウンセリングで相談したのは母→私の関係と、私→子どもたちの関係について。
~これを相談するに至るまでのあらすじ~
最初の矢野先生のカウンセリングでわかったのが「他者に対して自分は怒りの感情を持てず、攻撃されても固まってしまう」ということ。
カウンセリングでは「怒りの感情を出して、自分の心を守る」ことを教えてもらいました。
じゃあなんで「攻撃されたとき固まる」生き方をするようになってしまったんだろう…ということをさらに深堀り。
そして別なセラピーを受けたときにそのことを相談しました。
私はよく兄に暴力や暴言を振るわれていました。
この幼少期の体験によって「相手を怒らせないように」とビクビクしながら生きるようになったところがある気がします。
下手にやり返したらもっとひどいことをされたので、やり返すなんてもってのほかでした。
矢野先生のカウンセリングのときにチラッと脳裏によぎった暴力性はこれだったんです。とりあえず笑ってその場をしのぐことが、私の処世術だった。
その時受けたセラピーで「殴られて辛かった」と私の記憶にいた、暴力をふるってくる兄に伝えたのです(これもめっちゃ泣いた)
そうしたら、私の心の中で怖かった兄の記憶がどんどん小さくしぼんでいって…セラピーが終わるころには、そこにある兄のイメージが座布団で正座して、俯いて泣いている小さな男の子になっていました。
これには驚きました。
兄は父から暴力を振るわれていました。
父も兄と同じで、キレると暴力や暴言を振るう人でした。
父は「女は殴らない」というポリシーを持っていたので、私を殴ることはなかったのですが、怒鳴りつけることはありました。
だから私はやっぱり父にもビクビクしていました。
あくまでも「女は殴らない」なので、父は兄には手を上げていました。
今、自分が親になって思うけれども、絶対的強者である大人から暴力をふるわれるというのは相当恐ろしい体験だったと思います。
兄が私を殴ったのは、当時父にやり返せなかった「自分を守る怒りの感情」の矛先が、恐らくやり返してこないであろう妹に向けられたということだったのかもしれません。
ただ、もう過去のことだし。今は兄との関係も良好だから蒸し返したくない…と忘れようとしていました。
でも忘れられなくて。
フラッシュバックもあったし、たまに夢で見て泣きながら目覚めていました。
でも、このセラピーで泣いている小さな兄の姿を見たあとから、ほぼフラッシュバックが無くなりました。
これが許しというやつなんだろうか。すごい。
じゃあ元凶は父か?という話になるのですが、そのセラピーで父の声も聞きました。
「お父さんは、お兄さんがあなたを殴っていたことを知ってなんと言っていますか」と聞かれて、私の脳内にいた父は言いました。
「どうせオレが全部悪いんだろ」と。
「お父さんも、お兄さんと同じような何かを抱えているんだろうね」とセラピストさんは言いました。
すべての元凶が誰かひとりにあるわけじゃない、みんなそれぞれどこかに繋がっているんだ…とその時から私はそのことについてもよく考えるようになりました。
父が暴力をふるったり大声を出したりしたとき、母はその間に入ってくれました。
絶対的に恐怖の対象でしかなかった父から守ってくれる母は正義の味方でしかなかったのです。
ただ、今になって思えば、大声で怒鳴る父を他の家族全員で非難するような空気を作っていたところはあったと思います。
私の夫も声が大きく、感情的になると怒鳴ることがあります。
大きな声に子どもたちが怯えて泣いたとき、私は夫の大きな声を非難します。でも夫は感情的になったら大きな声が出てしまうからそれを非難されても困る、と言います。
そして夫も言うのです。
「どうせオレが全部悪いんだろ」と。
セラピーで父が言っていたことばと同じ。
夫は「自分はこの家にいないほうがいいんだ」と言って、怒鳴ったあと家を出ていってしまうこともありました(軽くドライブして帰っては来ますが)
私は夫を悪者にしたつもりはありません。言っている事は間違っていなかったので「言ってることはわかる。けど、大きな声で怒るのはやめて」と言っていただけです。でも夫はそうやって言われると「自分の存在が家族に不要だと感じる」と言いました。
私が幼い頃の父が怖かった記憶を思い出そうとすると「大きな声で怒鳴ってくる」というものが思い浮かびます。
でも、何で怒られたか?などは具体的に思い出せません。
ただ単純に大きな声が怖かったことしか覚えていません。
私の記憶にいる父と夫の行動が同じであることにきづいたとき、母は、父を止めるときどうやって止めていたんだろう、と思いました。
父は諌められる度に「自分はこの家庭に必要なんだろうか」という寂しさを抱えてしまっていたのかもしれません。
そして、その寂しさが暴力性に繋がってしまったのではないか…と。
自らを守るとき、人は「戦う」「固まる」「逃げる」のいずれかを使うと最初の矢野先生のカウンセリングで言っていました。
私は固まる事が多かったけれど、父や兄は恐らく心を守るために「戦う」ことをメインに使う人だったのです。
でも子どもの私には、そんな父の気持ちなんてわかることはありませんでした。大きな声で怒鳴る父より、怒鳴る父を止めてくれる母への信頼が強くなってしまうことは仕方のないことだったのかもしれません。
だからこそ、母の言っていることはきっとどんなことも正しいのだと私は信じていました。
でも、父の寂しさの根っこがもし、家庭での孤独感にあったとしたら…絶対的な居場所になってほしい家庭で父は居づらさを感じていたのかなぁ、とも思いました。
父は多趣味な人で時間があれば出かけていきます。釣りにゴルフに山菜採り、ギターに陶芸、人の仕事の手伝いまで。
いつも家にいないのは、外が楽しいからだったのか、家に居づらかったからなのか。もし居づらかったのだとしたら?暴言の裏側にある寂しさを想うとそれもまた切なくなりました。
母と子が一緒になって自分を否定した…と父が感じてしまったとしたら、その絆の深さは自分だけがのけ者のような家庭での孤独感を助長させていたかも?というところに思考が行きついたのです。
でも、母と子の絆というのも、色々解きほぐしてふと振り返ると違和感がありました。
「◯◯したい」と私が言うと、母は否定することが多かったと思います。
そんなことするのは難しいと思うよ、とか、別なこっちにしたほうがいいんじゃない?とか。
悪意を持っての否定というよりは「転ばぬ先の杖」だったと思います。
でも、思い起こすと、自分自身を縛ってきた"どうせ私にはこれが出来ない""そんなことをしてはいけない"という思いの大半は過去母に言われた言葉だったのです。
服装とか髪型にも「こうした方が良い」ということをよく言ってくる人でした。内心「本当はこうしたい」という思いを持っていることがあったときでも「でも、お母さんが言うなら正しいんだろう」と自分がしたいことより母の言う通りにすることの方が多かった。
「あなたには反抗期がなかった」と母は以前言っていました。
それは、逆らい方がわからなかっただけのような気がします。
自分の親が毒親だった、私は不幸だったと思いたかったわけではありません。
でもそうやって過去を解きほぐして思い起こせば思い起こすだけ「あれ?私は、父や兄を恐れるあまりに母親に支配されることを選んでいたのか…?」という疑念が頭の中で膨らんでいきました。
で、あるとき、母が私にやってくれたことを拒みました。
言い返したら、母はショックを受けている様子でした。
そのとき書いた記事がこれ。
いらないものを拒んだとき、母がショックを受けた様子を見て私は迷いました。
私は、私にとっていらないものは拒みたい。
でも拒むことで母を傷つけてしまう?
このあたりが私の中でずーーーっとぐるぐるしていて、今回はそれを相談した…というわけです。
カウンセリング受ける前まで心の中になかったはずの「自分の人生を支配したかもしれない母への恨み」みたいなものが生まれてしまっていて。
解きほぐさなければこんな感情にならなかったのに…今更恨みたいわけじゃない…という葛藤もありました。
でもカウンセリング受けたら、この葛藤、めっちゃスカッと晴れたんです。
だからそのことを書きたかったのに、前置きだけでこんなに長くなってしまった…。
母との関係もそうですが、子どもたちとの関係でもすごい気付きがあったのでそれも言語化しておきたい。
しばらくシリーズみたいにして書いていくかも。
しかし、幼少期兄に殴られていたことは私のなかで絶対触れてはいけない過去だったのですが…セラピー受けてしばらく経った今、触れてはいけないものではなくなっていることが驚きです。
セラピー受ける前も「もう過去のことだから」と思ってはいたけど、それでも人に語ることは出来なかったから心の奥底では許せていなかったんだろうな。
セラピー系カウンセリングって即効性というよりは遅効性なんだろうと思っていて、受けた直後よりその数カ月後ぐらいにはっきり効果が現れる気がする。
今回のカウンセリングも、今すぐ何かが変わらなくても、数カ月後の世界が柔らかく変わっているかもしれません。
そういえば、もしかして父は寂しかったのかな?と私が気づいた頃から、我が家で夫が大きな声で怒鳴る頻度が減ってるんです。
なんとも不思議ですね。
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