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草ブームの夏が終わる

今日は低気圧なのかとにかく気だるくて何もする気がしない。
子どももなんか調子悪そうだし、出かけることは無さそうだ。
仕事の漫画を1本ぐらい描きたいと思ったけどどうにもやる気が上がらないので、今一番楽しいと感じている草について書いてみようと思う。

***

今年の夏は、とにかく草に夢中だった。

一体どうしてこんなにハマったのか良くわからない。

この本がまずひとつめのきっかけだったように思う。

季節に合わせて食べるものを考え、そのとき身体に必要なものを取り入れていくことで不調な身体を整えていくことが大切なんだということに気づく。
こんなこと、改めて気づくようなことじゃないだろうけど、私にとっては改めて気づくことだったんだから情けない。

子育てするまえの私は毎日それなりに手がこんだものを作っていたし、その季節で旬のものを食べることをしていたんだよ。
でもとにかく子育てが大変で大変で。

一日一日の「やるべきこと」を全部やりきるために何を削ったかと言えば「食事を作る時間」とかだったのかもしれない。

時短レシピ、レンジだけで出来るレシピ、レトルト、お惣菜、冷凍食品、インスタント食品。
子どもが偏食だったことも大きかった。
上の子の離乳食がはじまったころは、生まれて初めて食べるものたちがレトルトやインスタントはあんまりだろうと思っていたから、出汁もしっかり取ってたし、野菜やお肉もいいものを買っていた。

でも子どもに自我が生まれ、少しずつ自分の意志で食べ物を選ぶようになると、とにかく何でも食べない。何出しても食べない。

一番覚えているのは、卵焼きを目の前でゴミ箱に捨てられたこと。
「いらないものは、ここにすてる」ってたどたどしく喋れる幼児が無邪気に笑いながら焼き立ての卵焼きをゴミ箱に放り投げたとき、自分の中にあった「ちゃんとしたものを食べさせなきゃ」が崩壊したような気がする。

こだわって手間をかければかけただけ、それを拒まれたときのショックが大きかった。だから少しずつこだわらなくなった。
これは食事だけじゃなかった。

子どもにとっての「期待」というものを少しずつ手放すための時間だったんだと思う。
あれが出来る子になってほしい、これが出来るようになってほしい。
野菜を食べて欲しい、この料理を食べて欲しい。

そういう期待を少しずつ手放して、私は子どもに対して「何でこんなことも出来ないのか」という怒りを持つことが殆どなくなった。
だから食にこだわらなくなったことも、悪いことばかりじゃない。

私がこだわって作ったおかずなんかよりも、娘は、好きなキャラクターが袋にプリントされたふりかけをかけたご飯のほうをよく食べた。
夫がたまにご飯を作ってくれる日は、夫は必死で子どもたちに食べてもらおうとした。
食べてもらえなければ怒ったり落ち込んだりふくれたりしていた。

「毎日食事を作って、食べてもらえない日が続いて、よくイヤにならないね」と夫が言ったけど、その頃の私には、別に私が作った食事を食べてもらえないならバナナでも食べてもらえばいいぐらいの意識しかなかった。

食べてくれるなら何でもいいや、生きてればそれで。と思った。

子どものメニューと大人のメニューを別々に作り分けるなんて、当時余裕が無かった自分に出来ることじゃなかった。
子どもがふりかけご飯の日は、大人もふりかけご飯。
良くても、せいぜいたまごかけご飯とか、ねこまんまとか。

そんな食生活が何年も続いて、何か体調を崩しやすくなった。
食生活のせいか、加齢のせいか、疲労のせいかはわからないけど。

昨年、謎の全身痛に見舞われた。立って歩くだけでもギシギシ身体が痛むのに、病院では何の異常も見つからない。

病院はそういう謎の異常にはとりあえず「自律神経でしょうね」と言う。
もうこれを言われたら諦めるしかないと思っていた。
原因わかんないものに対処なんて出来ない。

わらにすがる思いで行った鍼治療と、食薬習慣の本で血液を良くすることの大切さを知った。
血液の流れが悪いとか、身体が冷えているとか、腸の働きが鈍くなっているとか、そういうことって病院の検査では見えないこと。そしてそれによって身体に痛みが発生することも知った。

体調を崩した去年の秋から食事に気を使うようになった。
子どもが成長して、昔ほど手がかからなくなって、大人と子どものメニューを作りわける余裕も出てきたこともあって食生活の改善はしやすかった。
食生活を変えたら体調不良が少しずつ改善された。

まぁ、変えたことは食生活だけではなくて、運動習慣だとか睡眠量とか他にもあるのでどれが一番良かったのかはわからないのだけども。

食という字は、人という字の下に良いという字を書く。
「人を良くすることが食べること」ということなんだと思った。
食べることをおざなりにすると、どうしても良くないほうに向かうのかもしれないなと。

そうやって、口から入れるものの大切さみたいなものを感じているときに読んだのが野草茶の本だったのだ。


人間が人為的に作った「野菜」は、食べやすくするために沢山の品種改良を重ねている。
だけど「食べやすさ」の代償は「栄養価の損失」なのだ。

苦くないピーマン、土臭くない人参、トゲのないきゅうり。
見た目も良くて食べやすい野菜たちは、言うほど栄養がないのだと。
品種改良や大量生産された野菜は全体的に栄養価が低下している。

その原因は土壌の栄養とのことだが、野草茶のすごいところは「作られた土壌」ではないところに生える草の栄養価を得られるところにある。

抜いても抜いても、どんなに取り除いても生えてくる野草。
頑張ってお世話しないとうまく育たない野菜と比べて何と強い命だろうか。

その野草のパワーをお茶にして頂けるなら、そんな素敵なことはないと思った。

多分野草茶デビューは「スギナ」だったと思う。
庭に恐ろしく生えてくるスギナ。抜いても抜いても生えてくる。
スギナの栄養価は実はものすごく高いのだという。
だからといって食べるにはクセが強い(佃煮にすると美味しいと書いていたのでやってみたけど、決して美味しいとは思えなかった)

だからお茶にして成分を抽出して恩恵に預かろうと。

庭の草むしりがてらスギナを沢山摘み取って、洗って干した。
「雑草取り」が「お茶摘み」になった。
沢山採れたことが嬉しかった。

乾いた茶葉を炒って飲んでみた。
スギナだけで飲むとあまり美味しくなかった。

だけど、普段飲んでるほうじ茶に少し混ぜて煮出したら普通に飲める味だった。

お茶をものすごく愛する長女も、これなら飲めると言った。

「野菜を食べてくれないなら、野草で栄養を採ってもらえばいいじゃない」

多分これが、私が野草茶にはまり込んでいくきっかけだったような気がする。

次はお庭に生えているいろんな草を調べはじめた。
次の野草茶はコハコベだった。コハコベも、抜いても抜いても生えてくる草。気を抜いたら畑じゅうがコハコベだらけになるような草だった。

スギナも強いけど、次から次とワンシーズンで何度も生えてくることは案外ない。コハコベは次から次と生えてくる。

このコハコベ、「雑草取り」の心で採っていたときはただひたすらに、憎い草だった。
でも「収穫」の心で採っているととにかく幸せだった。この草、摘んでも摘んでも次から次と生えてくるじゃないか、と思った。


黙々と摘み続けてしまう



コハコベはとにかく小さい草なので、摘んでも摘んでも大した量にはならない。干したらしぼんで量が無くなってしまうので、お茶にするには不向きだった(しかもお茶もあんまり美味しくはない)

でもそのかわり、おひたしにしたり、お味噌汁に入れたり、サラダとして食べる分には朝ご飯の小鉢一つぐらいにはなった。

朝、庭の作物に水をやるついでに片手で持てる程度の量を摘んで毎朝食べるようになった。
そしたら便通が劇的に良くなった。
さらに、コハコベのおかげかはわからないのだけど、生理が異常なほど軽くなった。3日ぐらいでほぼ終わってしまう(たまたま年齢的な時期の可能性もあるけども)

コハコベの効能の中には整腸作用もあり、また「浄血」というのがある。母乳育児中は母乳の質もよくなるんだとか。この効能で女性の月のものが軽くなってもおかしくないような気がする。
本当はこれも子どもに食べてほしいけど、いかにも野菜なのでなかなかに難しい。お茶にするのはとんでもなく大変だし。

まぁそのうち少しずつ興味を持ってもらえたらいいか、ということで子どもにはスギナブレンドのお茶をちょこちょこと飲ませている。

多分この頃には、草の魅力に私はすっかり取り憑かれていたんだと思う。
家の庭だけでは飽き足らず、近隣を歩き回ってはいろんな草を摘んできてお茶にした。そして毎日いろんなブレンドをして飲んでいる。

子どもの体調が悪くなると、スギナではない他の草をその症状に合わせてこっそりとほうじ茶に混ぜた。ほうじ茶は結構いろんな味を受け入れてくれるとっても素敵なお茶だということがわかった。

家族に「お母さんは草が好き」というネタが出来た。

朝の散歩から帰ってきて草を持っていれば「また葉っぱ持ってきた!」と言われ、子どもと公園に行けば「暇ならそのへんの草見てていいよ」と言われる。お言葉に甘えて、喜んでその辺の草を見ている。

草を調べるアプリをスマホに入れ、子どもと散歩しながら草を調べて「ねぇ!この草食べられるよ」とかキラキラしていると子どもがめっちゃ笑う。
「雑草が好きなお母さん」という状態が面白くて仕方ないらしい。

いやしかし、こうやって草の世界にハマっていくと、身近に生えているもので食べられる草がいかに多いことか。そしてその草の栄養価がいかに馬鹿に出来ないものばかりか。

本を何冊か読んで「この草食べてみたいなぁ」という"憧れの草"というものもいくつか出てきはじめた。
憧れの草て。自分で書いておいて笑える。

その憧れの草の筆頭だったのが「スベリヒユ」だった。

オメガ3脂肪酸が豊富!!!!

食薬習慣の本で「血行不良による身体の痛みにはオメガ3脂肪酸を摂ると良い」と書いていた。
去年の夏、謎の全身痛が血行不良によるものだとしたら自分にはオメガ3が足りないんだ!と思い、クルミを食べたりサラダに亜麻仁油をかけたりしていたわけだが。

この草をたくさん食べたいと思って、近所を歩き回ってずっと探していた。
ある日住宅街のコンクリートの隙間から生えているのを見つけて、大喜びで引き抜き、あまりいい環境で育ったとは言えないそれを茹でて食べた。
とにかく食べてみたかったんだもの。

めっちゃ美味しかった。何度か食べたけどこの草はまじで美味しい。食べ過ぎ注意とのことだが食べすぎるほど生えてないんだよちくしょう。


納豆と混ぜるのが好き

しかし最初の一回目を見つけて以降、多分見つける目が育ったのかアチラコチラで見かけるようになった。ということで、庭に移植した。
繁殖力が凄いとのことなので、来年はきっと庭でスベリヒユが山程収穫出来るに違いないと夢見ている。

たまにそこらへんの花壇で旺盛に繁殖しているのを見かける。きっと雑草として抜かれて捨てられるんだろうなぁ…と複雑な気持ちで見ている。

地元の友人で同じく野草が好きという人が奇跡的にいるため、たまに一緒に野歩きしている。ふたりで見ていると、ひとりが見逃してももう一人が見つけるので獲物ゲットの確率が上がる。

春の山菜採り、なんて言うけど草が生えている季節は春と言わずにオールシーズン何かしらの草が生えている。お茶にするなら多少育ちすぎていても問題ない(多分)
地元には多分気候的に生えていないね、と諦めていた「ノブドウ」を先日ふたりで発見して大騒ぎした。宝石みたいにカラフルな木の実。間違いなかった。

草を砂糖水に浸けておくと草のなかにある酵素が砂糖を分解して発酵し、酵素水が作れるという話も聞いていろんな草を発酵させてみた。
どの草も砂糖と水を入れておくだけで発酵した。おもしろい!!
発酵した酵素水は天然の炭酸水で、飲むと喉周りがほんのりあたたかくなる。発酵ってすごいなぁ。


松サイダー

友人がドクダミの生えている土地でドクダミ水を作って持ってきてくれた。
ドクダミ水めっちゃ美味しかった。湧き水で作ってきたと言っていたから、ソレのおかげもあるだろうな。
根っこ付きでも少し摘んできてくれたので庭に植えてみたけど、来年には少しは増えてくれるだろうか。

地元の野生ではまだドクダミは見つけられていない。
生えてるところあるのかな。

あと美味しかった酵素水は松の葉サイダー。爽やかで美味しかった。
ちょっと長く置いておくと発酵が進みすぎて美味しくなくなるけど。

育てている紫蘇でも酵素水を作ったけどこれは失敗した。
紫蘇なら美味しいのが出来ると思ったのに、びっくりするぐらいすっぱい液体が出来た。
発酵のことを色々調べてみたけど、酵素が増えずに酢酸菌が増えると酸っぱくなるとのことで、もしかしたら失敗したのかもしれない。

お茶だけでなく発酵水、そして調理。


そこらの草を揚げまくる


ツユクサのサラダとスベリヒユのお浸し



興味がどんどん広がる母。

最初のきっかけは多分自分の体調不良と、子どもの栄養不足への懸念だったはずだけど、今や多分私がただ楽しいからやっている状態になっている。

とはいえ子どもの咳がひどいときは咳に効く野草を、とか、子どもが虫に刺されたら草をすりつぶして塗る、とか、それなりに実用性もある、はず。

咳への効能は劇的に感じられるものはないけれど、虫刺されにはヤバいぐらい効く。もう薬はいらない。
ちなみに先程の"憧れの草"スベリヒユが我が家では一番効く。どの草が効くかは体質によるらしいが、いつもパンパンに腫れる長女の虫刺されにすりつぶしたペーストを載せたところ一晩で小さくしぼんだときは、流石に「お母さんの草遊び」が若干「魔女の薬作り」的なものに感じられた。
最近、たまに魔女と呼ばれている。

あと、草遊びの恩恵として、子どもが「塩歯磨き」を始めた。
私が散歩中みつけた「ツユクサ」の花。
ツユクサの花は染め物にも使えるほどきれいな色なんだけど、それを塩に混ぜると鮮やかな青い塩が出来る。


青い塩なんて何に使うんだ…と思いつつ、きれいなのでそこそこの量を作った。ある日、栗ご飯を作ったときにほんの少しそこにかけてみたら子どもがその塩気にハマった。
そして「青い塩おいしい」と言っておやつ代わりに舐めはじめた。
塩分とりすぎると身体に良くないからやめてくれと言ったら、だってこの塩美味しいんだものと言う。

そんなに美味しいなら、歯を磨くときに歯磨き粉代わりに少しこの塩をつけるといいよ、美味しい上に歯茎が引き締まるよ、と言ったら大喜びでつけるようになった。
うちのコたちは歯磨き粉を一切つけられない。あの独特の「スースーする感じ」が耐えられないそうで。いろんな歯磨き粉をためしたけれど、赤ちゃん用の甘ったるいキシリトールジェルぐらいしか使えたものが無くて、永久歯ぐらいになると、さほど意味もないのだろうなと思っていた。

それがまさか、古き「塩磨き」にたどり着くなんて思ってもみなかった。真っ青できれいなツユクサ塩は、今は子どもの歯磨き粉になっている。

夏の間生い茂ったアワダチソウから抽出した酵素水をお風呂に入れてみたときもびっくりした。アワダチソウはデトックス効果が強いので、お風呂に入れると疲れることがあると言う話を聞いたことがあったのだけど、長女が風呂の中で寝てしまったのだ。うそだろ、と思った。
そして翌朝は私と次女の目からすごい量の目やにが出ていた。
これもデトックスなのか…?と思った。

そんなこんなで、今年の夏から突然始まった母の野草ブームのために、草が少しずつ我が家の生活に取り入れられているわけだけども、それが何か改善につながるかどうかなんていうのは、多分微々たる変化でわからないんだろうなとは思う。

ただ、そこらへんに生えている草たちがどれもこれも大切な栄養を抱えているという事実。実家で飼っていた犬は体調が悪くなるとスギナを食べていたそうだ。人間はいつしかそういう感覚を見失ってしまったのだろう。
私が数ヶ月で恐ろしいほどこの世界にはまりこんでいっているのは、もしかすると本能的なものなのかもしれない。
自然の恩恵のありがたさを感じる今日このごろ。

庭の土も出来るだけ自然に近づけつついい土にしようと思って土作りもしている。生ゴミも米ぬかと混ぜながら埋めると分解されるとのことで、そんなこともしているわけだが、来年の春の土はどうなっているだろう。

野草茶や、酵素水で使った葉もなるべく土に埋めている。
土の栄養を得た草からお茶を作り、飲み終わったものを土に返す。
そしてその土がまた翌年いい草を生やしてくれる。

とりあえずミミズが大量発生した



これぞSDGSであろう、と思う。

夏の間に沢山の草を見つけて干した。
冬は雪に覆われて草観察はできなくなるから、干した葉でお茶を楽しみながら栄養を採って行きたいと思う。

~今年の夏お茶にしたり食べたり出来た草~

スギナ
コハコベ
スベリヒユ
オオバコ
タンポポ
オオアワダチソウ
ハマナス
ゲンノショウコ
ツユクサ
アカツメクサ
ササ
カキドオシ
ノブドウ
イタドリ
ミゾソバ
エノコログサ
ヨモギ
シロザ
ナズナ
ギシギシ
イヌタデ
ハルザキヤマガラシ
ノゲシ
ハハコグサ
スイバ
ヒメジオン
ウワバミソウ
フキ
ナギナタコウジュ
ミツバ
キクイモ

■友達からお土産でもらった草

ドクダミ
クズ

■野草茶ショップで買った草

クワ
ビワ
クロモジ

思いつくままに並べたけど、忘れてるのあるかも。
でもこんだけ名前出てくるのすごいよね。

今のあこがれの草は「スイカズラ」と「グズベリー」かな。
スイカズラは花が咲いてる季節になったら見つけられるんじゃないかと踏んでいる。グズベリーはこどものころ、そこらへんに生えてるやつを食べた記憶があるんだけど、最近見ないねと夫と話してから久しぶりに食べたくて仕方ない。

そうやって草取りを楽しんでいる母だが、偏食だった娘が急に料理に興味を持ってご飯を作ってくれるという奇跡が起こり始めた。
ということで、家族での食事に対するストレスもものすごく軽減されている。

「やらなきゃいけない」「こうしなきゃいけない」でやってたころは何もかも苦痛だったけど、今はもう「やりたい」で動いていることばかりだから楽しい。

子どもも、自分がご飯づくりを楽しんでいるのでよく食べる。

良い夏だった。

秋の草も楽しみつつ、冬が少しでも健やかに過ごせたらいいなと思う。


夏が終わったなぁという空


やる気が起こらず書き始めた、誰にも需要がないような記事を7000文字以上書いてしまった…。

でも今年の葉っぱへの情熱を書き留めておけて、とても満足である。

さて、漫画描こうかな。

サポートいただけたらそれも創作に活かしていきますので、活動の応援としてぽちりとお気軽にサポート頂けたら嬉しいです。