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*観察と解釈⑵*
・前回のつづきmemo
中尾ハジメさんは
「解釈なくして観察なし、
観察なくして解釈なし」
という立場に立つといいました。
わたしは「解釈」することにちょっとした
抵抗があります。慎重といった方がいいか。
わたしたちはモノゴトを
すぐに「解釈」してしまうものだから。
そこからモノゴトをすすめると
モノゴトを歪ませて捉えてしまう。
(あとから修正することもできますが)
しかしながら「観察」したあと
・ありのままを受けとる(事実をみる)
に「解釈」なしではすすまない。
FMアレクサンダー氏(ATの創始者)は
自身のまわりに鏡をおいて
自分を「観察」し、原理を発見しました。
「解釈」なしの発見はありません。
気をつけたいのは、「解釈」は変わっていくこともあります。絶対ではない。推測・仮説ともいえます。
↑この記事は、わたしが経験を通しての
「観察」から、その時々の“体験や気づき“によって「解釈」したものです。
ああ、わたしは「解釈」に抵抗や慎重さが
あったけれど、なるべく色をつけないで、
「観察」して、色をつけて「解釈」することができてきたんだなあ!
ハジメさんの問いかけ
「考えるとはどういうことだろう」
ー 気づかないうちにおちいっている独善、狭量、偏見、排他性というような「習慣」を、しばらくやめてみる(pause)というひと手間が必要なのかもしれない。ー
に対する自分なりの答えがでてきそう。
2024/2/12/mayumi@Kyoto