わたしのレッスンノート*境界線*
・今日のおはなし
今ここにイキイキと生きる。
アレクサンダー・テクニーク
(自分のつかい方)を
分かち合いたく、綴っています。
トレーニングクラス(今、トレーニー生です)にて、相手に触れる・触れられる
(ハンズオン、タッチ)するようになって
わたしには、
相手かわたしか分からなくなる
瞬間があります。
それをとくに気にしていなかったんだけど…
^^;
わたしの存在や輪郭などが自身(体感として)で“あいまい”だからかも
と思うようになってきました。
それは、足裏に“重さ”が下りるようになってから(引き上げる習慣に気づいてはやめる)、
わたしの“存在や輪郭”をより(以前と比べて)
クリアに体感できるようになったからです。
相手を“受けとめる”方が得意と思っていますが、相手のことを(必要以上に)とり込んでいるかもしれない。
わたしと相手との“境界線(バウンダリー)”が
“あいまい”なのは
ある意味で
わたしも相手も“尊重”できていないのか。
相手とわたしは異なる存在。
わたしの思いで人を変えることは
できないし、しない。
相手の課題をうけ負うことも
できないし、しない。
そこをハッキリすることは
わたしは苦手なんだろうな。
でも、“あいまい”にしてたことで
相手との“境界線(バウンダリー)”を
気づかないままに
とび越えてたり
フイにとび越えられたりして
傷ついたり、傷つけたり。
気づかないまま
お互いに
ここちが悪かったこともあっただろう。
だからか
初めから人との距離を
とってしまうのかもしれません。
だからか
人に酔ってしまうのかもしれません。
わたしの“存在や輪郭”をクリアにすることで
相手の“存在や輪郭”もみえてくる。
わたしを“尊重”することで
相手を“尊重”することもできる。
“あいまい”なものを“クリア”にしていく〜
わたしの課題のひとつです。
そのためにも“重さ”を足裏に下ろしていく。
(引き上げる習慣に気づいてはやめていく)
お互いにここちの好い風が
吹くことにつながるように。
じっけん、じっせん〜*
23/4/2022,mayumi@kyoto
ひつようなひとにもとどきますように :)