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波間にたゆたいながらチャンスに備える

 一人息子を身ごもったときは、すでに高齢出産の年齢だった。
 当時は、日本語と日本文化を外国人に教える仕事をフリーでしていた。日本について広範囲にわたって勉強しながら、自分の力量をつける努力は惜しまず、どうやったらもっと価値を提供できるかと研鑽するやりがいに満ちた日々だった。なので、産み月の直前まで仕事をしていたし、当然、産んでもすぐに復帰する予定でいた。
 しかし、産んで初めて分かったのだが、赤子はとんでもなく手がかかり、自分の体調も一向に戻らず、結果、同業者につなぎで依頼していたクライアント様たちを、そのまま引き継いでもらう形となった。
 二歳になった息子を預けて仕事を再開しようとするも、息子がその環境になじめずに半年とたたずに辞めることになった。その後、幼稚園に入り、ようやく私も社会復帰かと思いきや、なかなかタイミングがつかめない。小学校に上がったときには、これでいよいよだと昔の仲間を頼って復帰したものの、昔ほどの時間と労力を費やせるわけでなく、納得のいくプロフェッショナルな仕事の仕方とはならなかった。しかも、理想と現実のギャップに焦って家のことが疎かになると、決まって息子のコンディションが悪くなる。
 その後も何度か単発の仕事はしたものの、その頃には、思春期の子供を持つ家庭の主婦として生きる時間の方が圧倒的に多くなっていた。そうなると、持て余したエネルギーを子育てに向けるしかなく、自ずと過保護過干渉の道を進んでいく。いつしか、フルタイムで働くという、自分にとっての当たり前は、夢のまた夢となって遠くに霞んでいった。
 そんな中、年齢とともに徐々に息子の自立の兆しが見えてきた。そうなると、子育て中だからとか、まだまだ手がかかってといった、仕事に本腰を入れない理由が自他ともに通用しなくなる。本格的に子供が親の手を離れた時を視野に入れて、本当に何がしたいかを考えるようになった。自分が悩んだり苦しんだりした分を糧に、同じような苦しみで悩んでいる人に、共感しつつ背中を押せるような仕事がしたい。そう思って、子育て前に学んでいたカウンセリングやコーチングの勉強を再開して、まずは知り合いの紹介から、できる範囲で「聞く仕事」を始めた。
 どんなに社会的地位が高い人でも、経済的な余裕のありそうな人でも、人知れず将来への不安や誰にも打ち明けられない悩みを抱えている。人の話を聞く仕事をしていると、一人一人に特有の人生の波があり、それに抗ったり、諦めたり、開き直ったりしながら、それぞれが自分の運気のバイオリズムの間でもがいていることがわかる。自分の半生と照らし合わせても、なるほどその通りだと腑に落ちた。
 そうこうしているうちに、願ってやまなかった息子の自立の時がやってきた。手のかかる子だとあれほど心配だった彼が、なんと、海外留学の道を決めて自ら準備して行ってしまったのだった。
 どうしてもこうあってほしい、と、一つの考えに固執している間は、けっしてそうはならないという背理がある。ちゃんと働きたいのに働けないと焦るばかりの長い年月のなかで、尖った石が川の流れの中で角が取れるように、いつしか私の考え方も変わっていったのだろう。
 それは、理想どおりに働けても、働けなくても、どちらでもいい。でも、次の波がきたときに、うまく乗れるように準備だけはしておこうというものだった。一見すると諦めにもみえるが、自分の葛藤の渦から少し離れて俯瞰してみる方法だった。
 将来なりたい姿をイメージして、それに向けて必要な道具をそろえて磨いておく。それから、新たな波が来たときに、何とか適応してきた今の環境を捨て去る覚悟を決めておく。あとは、実際にビックウェーブが来たときに、勇気をもって乗るだけだ。
 人生の新たな波は、誰にでも何度でも訪れる。何歳になろうとも、波が潰えることはない。それは環境の変化として訪れて、うまく乗れば新たな未来へと運ばれていく。だから、たとえ今の状態が理不尽で、どんなに望まぬものであったとしても、いつでも次なる局面で動けるよう、焦らず、たゆまず、準備をしさえすればいいのだ。
 そこで肝要なのが、次の波を待ちつつも、「今であっても、先であってもいい」と心から思いながら、その到来を信じることだろう。
 その間は、人生の一局面である今の状態が、自分の人生に必要だからおきているんだと粛々と受けとめて、二度とやってこないこの瞬間に真摯に向き合うことに尽きる。そうすれば、自分にとって丁度いいタイミングで、新たな波がきっとやってくるだろう。






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