近代国家とムラに関する走り書き

⓪西洋と日本の国家観はまるで違ふ。

①西洋の国家は、契約によって成り立つ。契約を取り除いたら、すべてが壊れる。

②近代国家の成立のたとへ話。

或る盆地に人が暮らしやすい場所があって、人が集まった。
自然にムラができた。
おしまひ。
これが日本

或る盆地に人が暮らしやすい場所があって、人が集まった。
みんなが自分の土地や食べ物を奪ひ合って殺し合ひをした。
ボスが出て来て、みんなを支配すると、しばらく平和になったが、ボスは横暴になりすぎて殺されたり、他にボスになりたい人に殺されたりして、長続きしないし、ボスの代はり目には、しばらくまた殺し合ひになった。

みんながうんざりしたところで、知恵者が、或る提案をした。

集団の管理は、社会管理会社と契約して、委託する。
管理会社によって、個人や集団内の小集団の武器は、すべて没収される。
公平な分配や暴力の禁止などの規律を破ったものは、武器を所有する管理会社によって罰せられる。
社会契約論、です。

ただし、この管理会社も、武器や法規を占有してゐることをいいことに、社員の私益を優先して、雇用主に被害を与へたり、ひどいときは、脅して支配しようとすることがある。
油断ならない。
その場合は、管理会社との契約を破棄することができる。
革命の権利、です。

社会管理会社との契約書には、人権のことが明記されてゐる。

1.  雇用主である「市民」には、管理会社に対して「生命と財産を保護させる」権利がある
2.  雇用主である「市民」には、自己の幸福(私的利益)を追求する権利がある。・・・公益を損なはない限り。

人権について明記されてゐる契約書が、みんなの大好きな憲法

③なんで憲法があるかといふと、国家に、市民の生命と財産を守らせ、幸福の追求の邪魔をさせないために、一札(いっさつ)入れておかせるため。その約束証文。

④憲法=人権を守りますと、社会管理会社である国家に誓わせた証文

人権= 1 + 2

国家とは、市民の人権を保障するための「社会管理会社」みたいなもの

⑦日本は、ムラとして自然にまとまって、無限の殺し合ひにはならなかったから、ステートとしての国家は必要なかった。カントリーとかネーションはあったけど、それはムラと同義だった。

⑧群小のムラが大きなムラに包まれて(これが)、
それを集めて、もっと大きなムラが包んで(これが幕府政権)しまふといふ、ムラ・システムしかなかった。
社会契約から生まれたステート国家は無かった。

⑨不思議だけど、それで、まあ、なんとなくやっていけた。



今みたいに、西洋式の国家になった日本に暮らすわたしたちから見ると、
ムラ社会の日本には、
人権はもちろん無いし、
自由も無い。
民主主義も、話し合ひくらゐはするけど、最後はエライ人がばーんっと決めてしまふのがほとんどで、多数決には逆らへないといふわけでもなかった。
直接民主制なんてのは、たぶん、皆無。
これは今も無いけどね。


なんで、ムラがいきなり、社会契約に基づく近代国家(国民国家)になったのか?

「ムラビト」たちが、急に「個人」になって洋服を着て、「自由にならなきゃ、自分で考へて決めなきゃ。権利と義務だ、どっちがどっちだっけ、ああ、どうしよう」と右往左往しだした。
なぜなのか?

さうしないと、西洋列強の植民地にされるから。
差し当たって、「日本を洗濯いたしたくそうろう」なんて言はれる理由は、それくらゐしか、無かった。

(これは、ちょっとウソが混じってゐて、
1837年に大塩平八郎の乱が起きてゐるのは見逃せない。
1968年が明治維新だが、その三十年前には、幕府政権が「もっぱら富裕層を優遇し、民草を苦しめる」ものとなってゐたのが露呈したわけだ。
 まあ、確かに、一度洗濯したはうがいいくらゐ、幕府体制といふ一張羅を、長いこと着古してしまったのかも)

といふわけで、内部的な改革の必要も迫ってゐたのだが、それにしても、明治維新みたいに、いっぺんに何もかも西洋化するほどの、文化そのものに根差す矛盾ではなかったと思ふ。
おおむね、外圧による、改革だったと思ふ。

明治維新は革命だ。
外国の体制だったら、ほぼ根こそぎの上下倒立の革命だが、日本には天皇制といふ「空の中心」があったので、それを軸として、大量同胞虐殺も投獄も無い、クワッドアクセル級の奇跡のrevolution(revolve=回転する)が可能だった。







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