金魚鉢
アーミッシュの子供にアレルギーが少ないのは、小さい頃から野原や河で遊び、そして家畜などと触れているからという話をする人とよく会うようになった。
もしかしてテレビでそんな話をしていたのかと疑ってしまうが、ともかく、免疫とアレルギーの話でよく出て来るのは、子供のうちから自然と触れることで免疫力がつくというもの。
自然と子供が触れ合う環境では、触れ合う過程で、虚弱な子供はどんどん淘汰されたのではないかとも思う。
カルガモ親子は見ていて微笑ましいが、同時に、わたしはいつも胸が痛むような思いもよぎる。あの可愛いコガモのうち、生き残って親になるのは、一羽か二羽か。
そんな割合でなければ、世界は、カルガモだらけになっているはずだ。
今の地球は人間だらけだが、それは、生まれた子供がほとんど成人して親になれるような環境に、科学技術を駆使して、変えたからだ。
今さら、自然と触れて免疫力をつけると言い出すのは、いいとこどりが過ぎるような気もする。
「自然と触れて免疫力をつける」ということも、科学技術によって人工的な「自然」をつくって実行することになるのだろう。
人間は自己家畜化したと言われているが、たしかに、少なくとも先進国では、自分たちを金魚鉢でしか生きられない琉金(リュウキン)にしているとわたしは思う。
前に書いたように、金魚鉢の水とはお金、経済社会に相当すると思う。
それとは別に、金魚鉢とは「自然」から隔絶されながら、あたかも自然であるかのように作り上げた人工的な環境の比喩にもできる。
金魚鉢は、ちょっとした揺れで棚から落ちて、割れる。
自らを琉金にした時点で、わたしたちの運命は決まったと思う。
琉金のうち、妙にタフな個体が、川に流されて、そこで、また、鮒(フナ)に戻るような気もする。
金魚鉢が割れた世界には、↓のニュースにあるように、「生還」する文明社会は無いはずだから、鮒が救出されることはない。
そのまま大型類人猿のヒトとしての本来の姿に戻る、もしくは、新種の類人猿に進化するのだろう。
もしかしたら、サル目の原点に戻って鼠(ネズミ)サイズの新種になるのかもしれない。
(タイムマシンができたら、見に行きたい。はやく発明してください)