自分いじめるな
考えることが好きです。
ぼくに紙とペン与えて放っておけば、
何も指示しなくても「やめ」って
言うまで何かを書かせることができます。
べつにうんことかちんちんって書くワケじゃなくて、
ちゃんとした思考の形跡を残しますよ。
なんか気になってるテーマ挙げて
ずっと考えを書き連ねます。
このnoteの執筆も全部一緒です。
やめられない、とまらない。
というか、考え続けて枝葉末節まで
無限に細かいこと気にしだしたり、
ちょっとずつ違うパターンで
堂々巡りしたり、
この記事みたいに書いてるうちに
テーマが飛躍していって
収拾がつかなくなります。
ぼく、考えてる量に対して
物理世界で実行できてる量が
あまりに追いついてない感覚なんですね。
べつにぼくはIQ160とかないので、
他の人より10倍ものを考えられる天才って
ワケでもないでしょう。
単に、〔考える:実行する〕の
バランスを崩してるだけだと思います。
いいえ、もとから崩壊してます。
むしろ訓練して直しました(怒)
自分の思考の奔流を制御できないんです。
めちゃくちゃ立ち止まってめちゃくちゃ考えてるんでしょう。
でも、堂々巡りだったり、考えても今の自分には正解が分からない、答えが出せない問いだったり、兎角効率悪いです…。
まさに、思考に翻弄されてる感覚です。
ぼくは自分のことスターシード(注1)だと思っているのですが、ぼくみたいなタイプは元来、受信特化の体質していて、発信のウエイトが少ないらしいです(※科学的な信憑性は触れないことにします)。
なんか嘘じゃない気がするんですよね。
大学で合気道習った時も
「君は内に力がこもりやすい」って
師範が仰いましたし。
自虐
アイデアの欠片みたいなのが無数に生まれるんですよ。
あれもしてみたいな、これもやってみたいな。
ああなりたいしこれも捨てがたい、いつかやろう。
みたいに。
でも行動に移すパワーが少ない上に、
現実の時間の流れが速すぎてついていけなくなります。
ああ疲れたな。
ホンマ今日クソやったわ。
なんでこんな思いせなアカンねん。
おれが何したがや。
そんなことに意識かっ攫われてるうちに
0時回って一日が終了します。
それが社会出てからの日常でした。
こういうの地獄って言うんですよね。
こんなんじゃいけない!
なんとかしないと!
と思ってもがくんですけど、
具体的に何をどうしていいのか
自分でも分かってないんですね。
『思考を活性化させるには紙に手書きが善い』
という教えを信仰していたわたくしは、
とにかくことあるごとに
膨大な量のノートを書きました。
社会出てから
コピー用紙何十枚、何百枚
大学ノート何冊書いたでしょう。
プロジェクトの企画書じゃないんですよ。
仕事でもこんなに書かされんと思います。
それだけ
ぼくは自分自身の
本音、本心、本当に望む現実
そういったものに重要性が高く
それに比べて目の前の現実は
あまりに醜悪かつ残酷だったのでしょうね。
だから常にストレスにまみれていました。
ぼくの中の理想や正しさが、
目の前の物理現実を痛烈に批判し、
そのどうにもできない現実に
打ちひしがれているわが身さえも
容赦なく断罪するのです。
「結局こんだけ考えても
何もなってないやないか」
「結局周りの人間がつまらねえのは
自分がつまらねえからだろうが」
「もう大学の時点で失敗してるから」
そんな具合ですかね。
なかなかに酷いです。
自分の脳と心にムチ打ってます。
否、そんな生やさしいもんじゃありません
脳みそを直接金づちで叩き潰すようなもんです。
「自分はダメなヤツだ」とか。
「自分のことが本当にイヤになる」とか。
こういう意識を自分に向けるのは
自分に厳しくてエライとか、
ストイックじゃないんですよ。
うってつけの言葉がありましたね。
“自虐”です。
読んで字の如く
自らに対する虐待じゃないですか。
自分に対して
パワハラ、モラハラ
してるようなもんなんですね。
気に入らねえヤツだからいじめる。
いじめるヤツのこと好きなワケないから嫌う。
嫌いだからいじめる…の悪循環スパイラル。
破滅のエコシステムです。
自分を取り巻く環境への
不満が煮えたぎり、
生まれ育ちの不遇さえ呪い、
そして悲しみと怒りの矛先が
自分にまで向いてしまうのです。
それでひたすら
感情も考えも紙に書き出します。
でもなんにも答えは出ないんですね。
解決策なんか、一見わかったようで
深層意識には染み込んでないので。
ちょっと考え書いたぐらいじゃ
根っこの部分からはほとんど変わりません。
(※ぼくの場合はちょっとじゃないかもしれませんけど)
で、しばらくしたら
また似たような不満、疑問などが浮かび
自分の心の中を探ろうとノート書きだすんです。
ノート書かない人の場合は、
おそらく頭からシャワーでもかぶりながら
ぶつくさ独り言つぶやいてるでしょう。
伝わりますでしょうかね、
ぼくの言いたいこと…
結局堂々巡りなんですよ。
前も散々考えて、
自分でも蓋をしたくなるような
見たくない部分も
あえて文字にしてみて、
そこまでやってようやく
結論見えたと思ったのに
ほとんど変わってないんですよ。
根っこからは変わってないんです。
で
似たような考え辿るの繰り返し。
恐ろしいことに、
ここまで含めて堂々巡りが
ワンセットになっているみたいなんです。
本当に変えないと
ヘタしたら一生このままですよ。
心の奥底の痛み
じゃあどうしたらいいのかって話なんですけど
申し訳ないことにぼく自身も
この件に関する具体的な解は出せていません。
だから今でも、
いつの間にか堂々巡りになっていたりします。
そういう場合は
思考が取っ散らかって、
限りある時間の中で行うアクションが
定まってないために、
なかなか現実を一新するための
突破口が開きにくい
という理由もあるかもしれませんね。
ただ、光明はあります。
ゆたかなゴールを胸の内に持ってさえいれば。
コーチング的には、ゴールの世界の臨場感が薄いと
現実に負けてしまって人生を変えられない
と言われますが
おぼろげでもなんでもいいから
「未来はどうせ良くなる!大丈夫」という
そういった肯定的で希望のあるイメージを
持っておくことです。
少なくとも、
悲壮感に苛まれないこと。
絶望しないこと。
それが大事ですかね。
今あなたが大変なときに、
「大丈夫だよ。未来は良くなるから(^ω^)」
とか言われてもまるで意味不明だと思います。
同情するなら金をくれって話ですよね。
現実問題的には
大変な時期に馬鹿みたいな夢なんか描けるか
と思うのが普通だと思います。
でも現実は
自分の心が投影した世界ですから、
現実の不具合ってのは
自分の内側に何か引っかかりを
抱えているというサインなんです。
むしろ気付いてくれるのを
心待ちにしているかもしれません。
自分の心の中に、
【何か決定的に欠けていると思い込んでいる】
ものがあり、その不足感を補おうとして
物理世界で懸命に頑張るが
かえって苦しみの元になっている
…というような。
下記の本が何かのヒントになるかもしれません。
別に本の宣伝がしたいワケじゃないんですけど、
ぼくはコーチングを体現して生きるにあたり
あらゆる人の心のわだかまりを解消して
もっと調和したゆたかな世界を創りたいので。
そのためなら何本でも記事書くし
本の紹介などいくらでもやります。
ちょっとでも気になったら
読んでみてください。
あと、
限られた生命時間を
何に費やして日々を過ごすか。
現状を変えたいなら、
どんな重要性に従って
何を積み立てていくか?
そんな思考のヒントになりそうな本も
併せてご紹介。
まとめ
まとまるのでしょうか。
ひとまず今日言いたかったことは
①自分の脳と心をいじめるな
②根本から変えないと堂々巡り
③本、読んで。
です。
前回の更新頻度に比べると
久しぶりにたくさん書きました。
情動だけでもほんの少し
伝われば幸いです。
あと、もし興味あったら本読んでください。
その場で電子書籍買うのです。
ぼくのnoteより本買って読んだ方がいいです。
誰かの自発的な学びにつながる
きっかけにでもなれたら、
記事を書いた甲斐があるというものであります。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。
注1:宇宙人のこと