保育所の騒音問題~数値規制のない「受忍限度」を基準とした司法判断の危うさ~
ゆっくりしていってね!!!!
保育所・幼稚園にいる子供たちの声による「騒音問題」は定期的に話題になるわね。建設反対運動はしばしば起きるし、中には訴訟を起こして最高裁までいった事例もあるわ。
おお、とっても哀しいことなのだわ……。
これについてネット上では、
「子供の声が大きいのは仕方ない。微笑ましいし、嫌であっても我慢すべき。我慢できないなら引っ越せばいい」という論と、
「一切微笑ましくないし、生活に支障がある。静謐を求める権利はあるはずだ。近所に保育所を作るな!」という論が熱く戦わされているわ。
でも、どちらも非常に極端な論よね……。
前者は騒音に苦しむ人への思いやりを欠いている面があるし、後者は神経質なクレーマー気質が過ぎる面が見受けられるわ。
そら議論も平行線になるわって話で。
それぞれの論にある問題点を整理し、保育所騒音の裁判例も参照しながら、この件について論じるために必要な知識と考え方を紹介するわ!
騒音規制がないと良い人ほど不幸になる
基本的には、いまこの記事を読んでる方も「子供の声は騒音じゃないよ! 社会で子どもを大事にしよう!」って人が多いと思うのよ。その考え方自体はとてもいいことなのだわ。
実際、唯一子どもの声も含めて数値規制(何デシベル以下とせよ)していた東京都も、2013年頃に環境確保条例を改定して、
「子どもの声については、数値規制の対象としない。個々に受忍限度を超えているかどうかで判断する」
としたわ。これは一応、当時の世論・ネット的には「いいこと」として受け容れられたみたいね。
けれど、まずご認識して頂きたいのは、「保育所の騒音」といっても保育所には次の2パターンがあることよ。
① べつに大した騒音を出していないのに、神経質なクレーマーに騒がれているだけの可哀想な保育所。(クレーマーが加害者、保育所が被害者)
② マジでクソみたいな騒音を出しまくっていて、クレームが来るのは当然としか言えないダメな保育所。(クレーマーが被害者、保育所が加害者)
まあ、保育所って全国に38,000ヵ所あるからね。クレーマーも色々であることと同じく、保育所の経営者の方針や設備状態も色々なのだわ。「クソみたいなクレーマー」と「きれいな保育所経営者」しかいないってことは無いのよ。
さて。しかしながら「数値規制は撤廃、受忍限度で判断する」という変更は、クレーマーにせよ保育所側にせよ、じつは良い人ほど損をする仕組みなのよ。
「自主規制」に追われる良い保育所
初めに保育所側の観点から見てみましょう。
ハイ、数値規制はなくなりました。でも、無制限に子供を騒がせても良い訳ではないわ。数値基準はないけど「受忍限度」を超えさせてはならないからよ。
もし訴えられて「受忍限度」を超えていると裁判所から判定されたら、当然、賠償金なども支払わなくてはならないわ。
ということで、真面目で良い保育所の人たちは、基準不明のままものすごい自主規制をやる羽目になってるわ。だって、ギリギリセーフのラインを狙ってたら危ないでしょ? 当然の判断なのだわ。
実際、保育所にぐるっと防音壁を設置した上で、園庭で子どもを遊ばせるのも1日30分までに制限している所もあるわね。
うん。確かにそこまでやれば「受忍限度」はまず超えないでしょう。いくら曖昧な基準でもね。
けど、そもそも子どもが元気よく遊べるようにって話じゃなかったっけ?
これは「表現の自由」の問題にも通じるわね。「性器の描写が駄目です。黒塗りしてください」と明確に決まっていたら対応できるけど、「過度にわいせつな表現はやめてください」だったら、何をどこまでやっていいのか裁判沙汰になるまで分からないじゃない? 「過度」ってどこからよ?
おっぱいは出してもセーフ? 乳首が見えると駄目? もしかして胸の谷間を強調するのもアウトなのかしら……と自主的に大幅萎縮せざるを得ないわよね。今これを真面目な保育所さんは必死にやっているのだわ。
受忍限度を超えていても良い人は「我慢」する
そして、同じことは本当に騒音に苦しむ人にも言えるのよ。「この数値を超えているから、さすがに勘弁してください」とはっきり言えないから、仮に保育所が出している騒音が受忍限度を完全に超えるものであっても、「良い人」ほど我慢(受忍)しちゃうのね。
もちろん、騒音被害について行政に相談することは出来るんだけど、何しろ具体的な数値がないから、役人も「お願い」しかできないのよ。
そうすると、保育所側に開き直られたら被害者は個人として告訴するしかなくて、これはたいていの場合、引っ越すよりもお金がかかるし裁判結果が出るまで時間も要するから現実的じゃないわ。
ものすごい騒音がしてても、お金払って弁護士雇って勝てるかどうか一切分からない裁判を起こして、判決が出るのは大体告訴から1年後とか。
じゃあ、もう引っ越すわよ……。シンプルに割に合わないわ。
実際、「子供の声は可愛いから平気です!」と言っていた人ですら、実際にそういう環境に住んでみたら、到底耐えられるものではなかったという報告はいくつもあるわ。そして「引っ越すしかない」に追い込まれてる。一例を挙げましょう。
ここまでいくと、まあまあ可哀想よね……。それはもう受忍限度を超えてると思う。ママさんのコーラス練習に至っては、もう「子供の騒音」ですらねえ。
でも、じゃあ裁判起こすかって言われたら、先ほども述べた通り、裁判費用より引っ越し費用のほうが安いし、しかも確実に改善されるわよね。逆に、裁判起こしても勝てるか分からないし、勝てるとしても1年後とかよ。
こうして良い保育所の人と、良い我慢強い人が損をしているのだけど、一方で、「うちの保育所の出す音は受忍限度以内だと思います! 問題だと思うんなら訴えれば? 損すると思うけどね」と開き直る保育所と、「この俺様を子供の声でちょっとでも煩わせるな」というファッキン・クレーマーには逆に数値がないのは便利なのよ。
「保育所としては受忍限度内だと思う」と「俺は受忍限度外だと感じる」という、裁判に至らない限りは絶対決着しない水掛け論になるわ――ていうか、現になってるわ。
実際、ちょっと古くて限定的なデータしか手に入らなかったんだけど、保育所への苦情件数は増加傾向にあるみたい。
クレーマーとしては受忍限度外だと思って(営業妨害等にならない範囲で)保育所にクレームつける権利はあるし、保育所にはクレームを受ける法的義務があるわ(社会福祉法第82条、および厚生労働省局長通知)。
近隣住民から苦情を受け付ける道筋を閉ざすとかは法的にダメなのよ。苦情受付担当者が誰かも明確に任命して、役所に提出しないといけないわ。
具体的な数値が設定されていれば、真面目な保育所は安心して経営できるし、ヤバイ保育所に対しては数値を根拠にしっかりとした行政指導・是正勧告ができるわ。ファッキン・クレーマーも「この数値以内ですから大丈夫なんです」ときっぱり排除できるでしょう。
裁判沙汰にするまでもなく、良い人が守られて、悪い人はちゃんと指導される。
私には、数値規制を設けない意味がまったく分からないのだわ。細かい調整は必要でしょうけど、
「原則として騒音はnデシベル以下であること。また、突発的な児童の叫び声・鳴き声に関しては、nデシベル以上からmデシベル以下であれば良い。また、やむを得ない事情によりmデシベルを超える場合、t分までは許容とする……」
みたいな感じでいいじゃない?(さらに付け足した方が良い条件はあるでしょうけど、あくまでもイメージね)
そのために設備投資が必要なら、それこそ少子化対策として国が補助金を出してあげればいいのだわ。別に嫌な税金の使い方ではないでしょう。
では、最後に実際に保育所の騒音について訴訟が起きた裁判例を見ていきましょう(確認した限り、最高裁判例はまだないみたい。知っていたら教えてね!)。
先に言っておくと、日本の司法判断は相変わらずヤベエわよ。以前の記事で「社会通念」が裁判バグ技みたいになってることを紹介したわよね?
司法において、「受忍限度」も完全に同じことになっているわ。
保育所の騒音に関する裁判例
保育所の騒音に関しては、神戸地裁で訴訟されたこの裁判例が有名よ。
まあ、まずは当時の新聞記事から引用させて頂くわね。
ただし、最初の方にも書いた通り、「子供の声」を直接に騒音として規制している法律や条令は存在しないのよ。
とはいえ、何の基準もなしに漠然と「受忍限度」を考えるのって無理だから、騒音規制法と環境基本法、および兵庫県環境の保全と創造に関する条例が「参照」されることになったのよ。
上の新記事の引用に書いてある「この地域の基準60デシベルを超える70デシベル以上の騒音」というのは、つまり条例の基準ね。もちろん、数値だけでいえば騒音規制法と環境基本法でも違反になるレベルよ。
で、訴訟はしたんだけど、結果は原告男性の敗訴。その後、大阪高裁に持ち込まれるけれど、そちらも敗訴して、最高裁への上告は棄却されたわ。
まあ結果は結果よ。原告男性はうるさい保育所にやられた被害者かもしれないし、保育所は大してうるさくなかったのに攻撃してきた迷惑なクレーマーなのかもしれないわ。
でも、この件で「どっちが真に悪かったか?」は大した問題ではないのよ。
問題は、裁判所の判断方法よ。
実はこれ、原告側(騒音被害者)を擁護する側からはもちろん、保育所を擁護する側からも批判の声があがっているのよ。
へ? 保育所側が勝ったのに? ――ええ、当然の疑問よね。
ここからそれを説明していきましょう。
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