亡き人を語ること

この一ヶ月の、研究における書かないといけないテーマが「亡き人と共にどう生きているのか」「どのようにして亡き人が存在し続けているのか」ということで、一番メジャーな概念である「継続する絆」(Klass 他、1997)を追いかけている。
ただ、Klass氏のこの概念が一番有名ではあるが、ちょうど同時期に、シンクロしてTony Walter氏もこの概念で語られていることと同じことを論文にまとめていた。
それは、Tony先生自ら、父親の死と、以前おつきあいされていた女性の死についての自伝的アプローチで書かれている(自分の経験を元に、他の研究を参照しつつ記述)。
私自身、これをTony先生から直接聞いていたのでこの論文 "A new model of grief: bereavement and biography" (グリーフの新たなモデル〜死別と伝記)を探し出し、オンラインで見られないことがわかってショックを受けていたところ、友人がたまたま、紙でコピーしてもっていたのをシェアしてくれた(涙) ※こういう時に、大学院の図書館に直接アクセスできないのが辛い。
読みながら、ぽたぽた涙がこぼれるほど、心のこもった、でも、冷静で引き締まった筆致で、なんともいえない気持ちになった。でも研究者としては「なんともいえない」を言葉にしていかなければいけないわけで、手始めにブログで大事だと思ったことを書き残しておきたいと思う。

Tony先生が、この論文で強調しているのは、それまで伝統的な理論にあったような「亡き人との絆を断ち切って、亡き人のいない新たな世界を生きる」というのがグリーフの一つのゴールとされてきたのに異議を呈し、「亡き人が生き続ける」(The dead live on)ことについて書いている。それは何によって起きてくるかというと、亡き人について、その人を知っている人たちと語ることからだという。

カウンセリングや自助グループ(日本で言うところの「分かち合いの会」)などでももちろん、亡き人について語ることはできるし、そもそも亡き人を知っている人と、その人について語ることは難しくなっていると分析もしている。その理由としては、家族内でのグリーフの違いにより難しくなっていたり、宗教、儀式などの変化(日本でいえば通夜で夜通し亡き人の思い出話するということはもうほぼなくなっている)、職場と家庭の分離、長生きすると共に、移動も多く、隣に知ってる人が住んでいるとは限らない、といったことなどが挙げられている。そう考えるとカウンセリングや自助グループが助けになることはもちろんある。
ただ、Tonyが、カウンセリングで亡き人について語るのと、亡き人を知ってる人と語るのでは違うということを明確に語っている。
"たとえば、「喪失カウンセリングの基本スキル」(Lenderum and Symeらによって 1992年に書かれた教科書の一節)の中で述べられているのが

スーザン「私の夫は、いい人だったの。彼の突然の死はとってもショックで。今でも彼を想ってすごく寂しい」

に対し、カウンセラーの応答として紹介されているのが

カウンセラー「あなたの夫の予期せぬ死によって、心底ショックをうけているのですね。あなたは今でも彼を想ってすごく寂しいのですね」

と。カウンセリングは「感情」に焦点をあてていて、そこには、亡き人についての言及はない(具体的には「私の夫は、いい人だったの」ということに何も返していないとトニー先生は指摘している)

もちろん、カウンセリングがあかん、ということを言いたいわけではない。カウンセリングにはカウンセリングのよさがある。

わたしはここでリヴオンでやってきた講座を思い返した。講座の中で、相手の感じていることを「まま」に認めることの大事さはもちろん伝えているが大事なのはそれだけではない。

「慈悲」という言葉の要素には"active interest"(積極的関心)が入っていると言われていて(増谷文雄氏によるサンスクリット語の解釈)
亡き人のこと、目の前の遺族のことを、積極的に知ろうとしてほしい、と伝えてきた。

これは自分の体験からもきていて、わたしの兄がバイクに乗っていたと話したら、親しい一人の、卒業生の坊守さんが「何色のバイクだったの」と聞いてくれたことが、私にとって本当に嬉しかった。

Tony先生は、亡き人を知っている人との共有の大事さを伝えてくれてはいるが、やはり上にあげた理由などによって、難しくなっているのであれば、亡くなっていようと「知ろうとし続ける」という姿勢、あり方がグリーフを生きる支えになっていくのではないかと個人的には思う。

イギリスのGP(かかりつけ医)やお寺の檀家制度のよさは、亡くなる前からその家族のことをまるごとで知っていることにあるのだろうし、もちろん、引っ越しなどが多い現代の中で、距離感はいろいろと思うが、やはりグリーフサポートのキーパーソンたちだと改めて思う。

亡き人を語ることで、生き続ける(Live on)

のであれば、私個人としても、団体リヴオンとしても、そうした文化を全力で醸成していきたい。

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