私はただの記憶でしかない
子供の頃から考えていた
自分は何なのか?と
ある経験から、今のこの肉体を持った自分が私ではない
何度も肉体を持って生まれてきていた
私は一体何なのか?
何度も違う人生を繰り返すのはなぜか?
それは未だにわからない
わかる時は悟る時だろうか
最近、私は何か?が纏わりついて離れない
仕方ないので、聖典を読んだり、覚者と思われる人の話を聴く
でもね、わからんよ
そんなんで簡単にわかるなら、とっくに輪廻から抜けてますがな
とはいえ、いろいろ思いを巡らす
肉体はどこまで自分の肉体なのか?
呼吸が内にある時は自分だが、吐き出すと自分ではない、と思ったり
爪も切って、捨てる爪は自分のだが自分ではない
髪の毛も、排泄物も
どうやら肉体は本当の意味で自分ではないようだ、養老先生もそんな事を言われていた
世界と自分の境界線はない・・そんな話だった気がする
肉体は本当の自分ではないのは感覚的にわかっていた(痛みなどの感覚は当然あるよ)
永遠に続かないという感覚だ
それからすると、どうも本当の私というのは永遠にあるものなのかと思う
それでは思考、心
これこそが自分なのか?と考えた
しかしそれも、毎度違う肉体を纏い、違う環境や出来事を経験すれば感じ方や考え方は変わる
永遠に変わらない思考や心はない
記憶喪失になれば、それまでの自分と違う自分が現れる
多重人格という場合もある
双極性障害という場合もある
つらつらと考えた
あ、私がわたしと思っているのは
ただの記憶でしかない
と思った
生まれてから(もしくは生まれる前)の膨大な記憶によって、心や思考ができている
違う状況や環境で育てば、私はこのnote を書いていないかもしれない
状況や環境で変わるものが本当の私であるわけがない
じゃ、本当の私は・・・・
恐らく、肉体や心や思考ができる源?土台?なんかそんな全てのベースなんじゃないか?
そうすると、全ての人や物も、わからぬ『それ』によって生まれているのか?
みんな根っこは同じ・・・
見えている所だけで判断するから、全てのものが複雑になっているだけなのか?
これを書いている思考も、いろんな記憶から何かを手繰り寄せて湧いている
この実相を観るためには、当然だが頭だけでは到達できない
肉体としての感覚、思考としての感覚
これがあるうちはわからないだろう
だから何度も転生する(本当はそれすら幻影らしいがね)