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『おかえりモネ』の背景が、やっと分かりかけてきた。

2021年5月21日の『おかえりモネ』のスクショが、10月末の最終週に、私を気仙沼に連れて行った最大のキッカケだった。北上川の鴇波水門の上に立ち、朝岡さんが見たかったという『移流霧』を眺めながら、モネが言った「気仙沼の『氣嵐』に似ている」という言葉。この時『氣嵐』を見たいと思った。というか、見たいという想いに取り憑かれたんだと思う。

この時のモネのアップは凄かった。見ての通り、下瞼のまつ毛さえ、一本一本判別出来るほどの超どアップ。スクショに慣れていた私も、この時は腰を抜かしそうになった。

化粧品のCMでも、なかなかここまでは寄らない。言葉とともに、涙の後のこの眼差しが、心に焼き付いてしまった。

化粧品のCMでも、これくらいが限界?

東日本大震災は、もちろん知っているつもりだった。でも、ドラマが始まった当初は、とにかく分からないことだらけ。なぜモネが、島を出たいと思ったのか。彼女は高校時代、何を考えて生きていたんだろうとか、3年も経ってから飛び出したのは、なぜなんだろうとか、もう全然分からない。米麻町森林組合では楽しそうなのに、亀島を想い始めると一気に暗くなる。幼な友だちは、みんな元気そうに見えるのに。

ドラマの最初の1週間で「あ〜、私は東日本大震災のことを、実は全然分かってなかったんだ」と思い知らされた。

福島の「放射能漏れ」の影響については、しばしばニュースでも報道されていたから、大まかな経緯くらいは追うことができた。しかし、震災から復興していく、個々の町や集落の10年間の歴史に至っては、ほとんど情報が無く、知ろうともしていなかった。

モネの、感情的に泣く訳でもなく、押し殺しているのでもなく、ただ自然に涙を流す。『氣嵐』を見たいと思ったのは、『氣嵐』を見れば、少しはモネの気持ちが理解できるかもしれないと思えたからだった。

私が初めて気仙沼に着いたのは、10月26日。その日の気仙沼は、朝から夕方まで雨が降っていた。夜になって晴れ上がったことが幸いし、翌朝、気温がそんなに低くもないのに『氣嵐』を見ることができた。美しいと思った。嬉しかった。しかし私には『氣嵐』を見ても、モネの気持ちは全然、見えなかった。

ところが、『氣嵐』は、思いがけず私に、気仙沼に住む方と会話する機会をもたらしてくれた。これが無かったら、私の気仙沼への旅は、単なる「聖地めぐり」で終わっていたと思う。

そしてさらに、気仙沼に住む方が、今度は登米の方と話す機会を作って下さった。おかげで、様々な立場の人に出会う機会をもらった。結果的には『氣嵐』を目指したのは正解だった。

2週間で旅にひと区切りをつけて、四国に帰って来てからは、もう書きたいことが山ほどあって困るくらいだった。小学生の時から日記など、3日と続いたためしが無かったのに、連続でブログを書き続けるとは。

書き続けてひと月。気づいたのは、改めて何も知らない自分と、震災後、被災地の方々、そして被災地に足を運んで尽力された方々による、膨大な記録があることだった。記録に記された大切な事実を知るたびに、思わず胸が熱くなったり、呆然と天井を見上げたりするようになった。

いちばんの変化は、今まで普通に観ることができていた津波の動画が、冷静に観られなくなったことだ。写真集も同様で、気がつけば、ページを見つめたまま涙を垂れ流していたりする。集団移転の終わった真新しい住居の写真にさえ、気持ちが大きく揺さぶられるようになった。

そんな今、なぜ、主人公の名前が「モネ」なのか、なぜ、りょーちんのカンバンが「鮪立」なのか、なぜ、モネの実家が唐桑半島の側にあるのかなどについて、今なら、私なりに少しは説明できるようになったと思う。でもそれはきっと、気仙沼で生きてきた人なら、誰もが知っているか、容易に想像できるようなことだろうと思えるようになってきた。

『伝承館』の最後の展示室のテーマにもなってる「海と生きる」という言葉の意味。私は「がんばろう、東北!」みたいな、大震災を起点にした言葉だと思っていた。でも、全然違っていた。そんな10年ほどのスパンで考えられているものではなかった。

悠久の昔、ここに人が海と共に生きることを決めた時から、脈々と続いている大切な考え方であり、海と生きていくために生み出した智恵の塊が「海と生きる」に込められていたんだ。

「河北新報」の10年間の詳細な記事や、復興に向けた膨大な数の論文の存在を知り、これからしばらくは、これらを読んで、私の遅れた10年間を取り戻そうと思う。

2022年5月に、気仙沼と登米に行くと決めた。オミクロン株の感染拡大が懸念されるけれど、条件が整っていれば行く。その時までに、私は私の地元について、もっと知らなきゃいけないと思っている。知るだけでなく、これまでできていなかったことを、一つ一つやろうと思う。

『おかえりモネ』の最終回、カレンダーは2022年の7月だ。

「あなたと僕は、違う時空で生きているのか!」
この意味も、無理すれば2つ考えられる。

普通の解釈は、
❶ モネと僕は、それぞれ異なる時空で生きているのか!
           だけど、
     「あなたと僕」を「We」にすれば、
❷ 私たちは、視聴者とは異なる時空で生きているのか!
        とも、取れなくはない。

そりゃそうだ。今を飛び越えて、ちょっと先の未来に、2人とも行っちゃったんだから。それを今度は、追いかけたい。

ドラマの中では、7月の時点で、コロナ禍は終わっていたようだ。ということは、5月は、まだ終息してないの⁈ でも私は、終息している状態、最悪でも県外への旅行が可能な状況になることを信じて、5月を待ちたいと思う。

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