見出し画像

#140 年金。

 あんぐりしました。今日年金の支払いのお手紙が届いて、こんなに払わなければならないのかと。

 僕はまったくの世間知らずなので、教員時代には年金手帳を事務員さんに渡した後、どのくらい払っているのかとか全然把握してませんでした。給与明細しっかり見なさいって話なんですけどね。

 そういう事務系やお金のことがほんとに苦手で、任せられるものは任せたい性分なんです。

 教員を辞めて、健康保険が変わるのは通院していたのもあり知っていたんですが、年金も変わるのは全く知りませんでした。あまりにも自分が無知すぎました。

 そういうわけで数ヶ月遅れで国民年金に加入(?)したわけなのですが、支払い書を見てびっくり。正直毎月こんだけ払うのは無理...。って思ってしまいました。はぁ...。火の車だぁ...。と思っていたら、免除や猶予の制度があるらしいじゃないですか。

 今日それを知って感激しました。明日年金事務局に相談しに行ってみようと思います。

 それにしても年金ってシステムどうなんでしょう...。正直払いたくないというか、NHKの受信料みたいなそれを感じてしまうのは僕だけではないはず。

 若い世代にメリットがあるとは到底思えないんです。うーん。

 年金というものがどういう状態で成り立っているのか僕が学ぶべきですね...。

 知らないことがいっぱいだぁ。こうやって一社会の大人として成長していくんですね。僕は後世にいいものを残したいと考えているので、そのようなシステム作りに励んでいきたいと思います。

 年金が悪いって言ってるわけではなくて、システムを知らないまま大人として扱われていしまいかねないこのルートがよろしくないと思います。

 だから学校でやらせろ。ってよく声をあげる方がいらっしゃるんですが、それもちょっと違くて。

 学校ってもういっぱいの「子供のうちにこれやっといた方がいいよね」に溢れてしまっています。手いっぱいですし、子供がそれを望んでいるかというと多くはそうじゃないと思います。

 では学校で習わないものをどこで習わせばいいんだよ。

 それは我々、社会の人間が子供たちに教育していけばいいんじゃないでしょうか。

 家庭、学校、社会が三すくみになって初めて成立するのが教育です。

 家庭の教育力不足だったり、学校の世間とのズレだったりがフューチャーされがちですが、社会も破綻してしまっています。

 親以外から愛を感じる瞬間ってほかにもあっていいと僕は考えています。資本主義の社会に生きる今。フェアという価値基準で物事を測ってしまいますが、愛するというものはとてつもなくアンフェアな行為です。

 では資本主義の社会に愛は存在し得ないのかと言われれば、そうではないと思います。変わりゆく資本主義の中に必ずしもフェアじゃない瞬間や空間があります。

 僕はそこに希望を見出しながら、後の世代に愛をパスできる教育者になっていきます。

 これが僕のビジョンです。まったく具体的にはなってないけど、これから作っていきます。もしかしたら皆さんのお力を借りる時があるかもしれません。いや、絶対借ります。

 その時はよろしくお願いします。

いいなと思ったら応援しよう!