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なんか嫌なのクラナッハ

ルーカス・クラナッハ(父、1472-1553)は独特な官能性を持つ裸婦の描き手として知られている。妖しくも凛乎とした表情と、ほっそりとした胴長のプロポーションは澁澤龍彦をはじめ多くの人々の偏愛の的だ。展示室810に掛けられている『三美神』は古代ギリシアの三柱の女神像をキリスト教の美徳に置き換えて描いている。女神たちはそれぞれ異なる髪型をしていて、よく見ると表情にも個性がある。右の片足を折り曲げている女性はいかにもクラナッハ好みの引き締まった顔立ちだ。

画像1:『三美神』(1531年)

広い額、薄い体毛、なで肩、小ぶりな乳房、膨らんだ下腹部、細く伸びる四肢という体型は、クラナッハ独自のものというより、その時共有されていた理想的な女性の姿が反映されたものなのだろう。当時の衣服を見ると、たしかにこの体型の人に映えるデザインになっている(画像2参照)。したがって、クラナッハの女性像に独自の魅力を宿しているのは、プロポーションそのものよりも女体を浮かび上がらせる黒い背景やコケットなアクセサリー、そして何より妖艶な表情なのかもしれない。

画像2:クエンティン・マサイス『聖マドレーヌ』(1520-1525年ごろ)

わたしはといえば、クラナッハの裸婦がかなり苦手だ。魅力があるのはわかる。展示されているのを見つけると、思わず見てしまいさえもする。しかしクラナッハのウェヌスたちの官能性には、何か居心地の悪いものを感じるのだ。彼の描く女性たちもまた、前の記事で扱ったルーベンスの裸婦たちとはまた別の流儀で理想化されている。理想化という現実から遠ざかるためのプロセスを踏んでなお、クラナッハの描く裸体の方には生々しさが残っている。しばしば少女のようと形容される体つきからかもしれないし、怜悧そうな顔から投げかけられる視線のせいかもしれない。画面上の至る所から、画家のフェティシズムが匂い立つのを感じてしまうからかもしれない。

画像3:『三美神』アップ

ちなみに、クラナッハも『ヘラクレスとオンファレ』を何点か描いている。基本的に髭面のおじさんへーラクレースが侍女たちにもみくちゃにされている絵なのだが、こちらはかなり好きだ。オムパレーに貫禄があるし、ヘーラクレースの顔が情けなさすぎてとにかくめちゃくちゃ面白い。いつか観てみたいものだ。

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