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ヒロシマの空は今日も青いか。

8月6日午前8時15分。

今日この時間に目を閉じた人は日本中に何人いるんだろう。

「今日は何の日?」て聞いても、ローソンの前でアイス食べてる小学生は知らんやろな。

両親が幼少期に被爆しているから、僕は被爆2世。
広島に生まれ、広島で育った、ってこともあるけれど、僕にとっての原爆は思ったより近いところにある。少なからず放射線を浴びた血が、僕にも流れているのだから。

小学校から高校まで、夏休みの登校日と言えば8月6日だった。
初めのうちは訳もわからず目をつむって、たまに目を開けて、みんなの顔を見たりしてた。
そのうち平和学習が始まり、毎年原爆について、戦争について聞いた。

小学生のとき、マンガと言えば「日本の歴史」か「はだしのゲン」だった。
図書室にあるマンガはそれだけだった。
「はだしのゲン」の中の古くさい広島弁と、カープの話ばかり気になっていた。

あるとき、気になった。
自分の親の歳と、原爆が落とされてからの年月について。
そのとき初めて僕は、自分が被爆二世だということに気付いた。
恐ろしくなった。
毎年のように聞いていた話。「はだしのゲン」の中の話。
お父さんも、お母さんも、わしも、そのうち、そうなるんか?

それからは原爆がすぐ身近に感じられるようになった。
中学生のときに聞いた、被爆された方の体験談に涙した。
高校生になって何年かぶりに原爆資料館に入って、本気で泣いた。
大学生になってからできた原爆祈念館に入ったとき、涙で前が見えなくなった。
そして今でも毎年欠かさず黙祷している。

原爆を僕は経験していない。
戦争を僕は経験していない。
僕は何も知らない。
何も知らないのに戦争に反対してる。
何も知らないのに広島で育ったってだけで原爆について、戦争について知った気になっている。


僕の母方のじぃちゃんは、毎晩うなされていた。
自分が殺した中国人の、死ぬ直前の声と表情が浮かぶんだって。
じぃちゃんが亡くなったのは、戦後四十ニ年目の年。四十二年間、じいちゃんは南京での出来事に追いかけられ続けた。
火葬場で見たじいちゃんの骨。折れた足を固定する金属の他に、小さな金属があった。
鉄砲玉だった。
四十二年間、身体に入ってたその鉄砲玉を見たとき、その場に居合わせた人、みんな泣いた。
骨壺に入れることは誰もできなかった。
それが例え、鉄砲玉に似たじいちゃんのほんとの骨であったとしても。


僕の父方のじぃちゃんは、原爆の何日か後に亡くなったらしい。
何も言えず、何も語れず。


僕らは何も知らない。
でも、知らないことに罪はない。
興味がなくても仕方ない。

でも。


あの日原爆を落とした人や国は、原爆のことを知らなかった。

そして、今も。


核兵器を持っている人や国は、核兵器を知らない。


実際に人を殴ったことなくて、人を殴れば自分の拳も痛いんだってことを知らないヤツが喧嘩すると、加減がわからなくて大変なことになってしまうようなのと同じ。

知らないことは、恐ろしいことだ。
知っていても過ちを起こしてしまうのが人間なら、知らないで起こす過ちのなんと恐ろしいことか。


だから僕は知って欲しい。
だから僕は知りたい。


戦争や原爆なんて知らないでいいように、知って欲しい。
戦争や原爆なんて知らないでいいように、知りたい。


ただ、それだけ。


平和だから生きているのか。
生きているから平和なのか。

それを見極めるための日だと、僕は思う。

一秒でもいい。一瞬でもいい。
自分が生きてるってことの幸せを感じとれる日に、僕はしたい。

戦争反対。
戦争反対。
僕にはこれしか言えないけれど。
戦争反対。
戦争反対。


今ある「生」に、感謝。

どうか今日という一日は、それぞれの一番近くの人を、大切にする日でありますように。

今日という一日は、昨日より少しだけでも優しくありますように。

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terrarhythm
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