2024.8.7 選択と責任
少し前にYouTubeで誰かが話していた。誰だったのだろうと記憶を手繰ってみるものの、全く思い出せる気配がない。
最近の若い子は選択することを嫌がるそうだ。2つの選択肢の中でどちらかを選ぶということは、どんな結果であっても未来の可能性を手にするということで、良し悪しに関わらずそこで得た結果は経験という財産になる。なのに最近の人たちは第3の選択肢「何も選ばない」を選ぶ人が多い。選択にはリスクと責任が伴う。選ぶということは片方の選択肢を捨てることで、選んだことを他人のせいにはできない。何も選ばないままに訪れる未来には、責任やリスクは伴わないのだろうか。素朴な疑問が残った。
若い子は責任やリスクを嫌がるのかもしれないが、昭和世代の自分は選択の自由ほど手放し難いものはない。自分は親の言いなりで幼少期を過ごしたせいか、習い事も進学先も職業ですら選択の自由がなかった。大人からみると危うい選択肢に手を伸ばしがちな子どもだったのかもしれないが、自分から手を伸ばしたものが手に入らないジレンマは自由への渇望を助長し自我を増長させたと思う。今でも他者に決められた意に沿わぬ道を歩むくらいなら、困難や貧乏くじであろうと自分の行きたい道を進みたい。
何も選ばないという選択の先にあるのは、受容するしかない状況であり、それが意に沿わないものなら他人のせいにできるという予め用意された言い訳のように思える。そうやって自分の人生の舵取りを先延ばしにしながら、限られた人生の時間を浪費するのはもったいない気がする。責任転嫁や言い訳ができても、浪費されるのは自分の時間なのだ。これはリスクではないのか。
選択の先にどんな結果があろうとも、自分で選ぶ自由は自らの足で立っているという実感に繋がる。自分の人生に責任を持つことができたとき、目の前に繰り広げられる世界をまるっと引き受けることができたとき、世界は鮮やかな光と共に見えない糸で繋がってくるのだと思う。