心を脱ぐエロさ

M子が不意に美味しいもの作る人ってエロいよねーと言い出した。文章でも写真でもエロいものに嫉妬するらしい。光栄にもわたしもM子にエロ認定をいただいた。
エロいってなんだろう。

わが家には16歳女子と14歳男子がいる。思春期の彼等は初々しいエロさがある。欲情するようなエロではない、もぎたての少し青い果実のような瑞々しいエロさだ。
最近ひとまわり以上年下の30才前後の方の鑑定が相次いだ。彼女たちにも落ち着きと若々しさが混在する、自分の世界を創りつつある過程独特の先の見えな霧みたいなものの中に、やはりチラッと見えるエロさがあるった。
そして今日は子供たちの空手の審査があった。個人的に興味は子供たちのがんばりよりも、黒帯や指導をされている方々がたまに見せるノーモーションの突きや蹴りに目がいく。これは本当に人によるのだが、強いはエロいに通じる気がした。

エロさってSEXなんだろうか?

M子とそんな話になったきっかけはこのサムスミスの○◯っぽいショート動画だった。
売れると安っぽいエロに走るの本当にやめて欲しい。全然エロくないし、逆にちょっと面白い。

エロさとセクシャリティが関係するのはわかる。
だがそれは性的嗜好の問題だけではない気がするのだ。
遠藤周作はエロいと思う。わかりやすいエロを描く作家は多い。性的な描写が多くてうへーっと思う作家もいるが、わたしは知性を感じる文章にエロさを感じる。
サムスミスもデビュー当時はエロかった。
ギタリストの指もエロい。
ブルーハーツのマーシーの指もエロかった。

エロさには匂いがあるのかもしれない。見えない感じない匂い。その匂いは大脳ではなく扁桃体や視床下部を刺激する。
人は年齢を重ねるごとにある種の匂いを発するようになる。加齢臭もあるが、若い頃は殺しがちだった個性を解放していく。他者と同じであることに魅力を感じなくなり、個性的であることを隠そうとしなくなる。そうやって少しずつ自分の中で培ってきたいろんな要素がその人を作る。個性と社会性が醸されてその人だけの味や匂いとなって現れるのだ。年代物のワインや味噌のように、わたしもいつしか味わい深い人間になれるだろうか。

73歳でグラミー賞で最優秀楽曲賞を受賞したボニー・レイットのように、匂い立つような存在感を身につけたいと思う。

ああそうだ。エロさとセクシャリティについてもうひとつ書かせてほしい。わたしの描くものがエロいなら、それは自己開示ではないかと思った。自己開示と言っても色々あると思う。赤裸々になんでも話し、書くことで自分の人生を他者に押し付けるのは人によっては迷惑行為になる。同じ自己に陶酔する行為でも本当に気持ちのいいSEXというのは、信頼できる関係をベースに羞恥心の向こう側にあると思うのだ。文章も自分をさらけ出さずにはいられなかったときの行間にエロさが漂うのかもしれない。

エロさって奥深い。
もっともっと醸されて智慧という名のエロさを手に入れたい。

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