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2024.10.9 自分を生きなおす

長男が度々高校をさぼるので、担任から頻繁に電話がかかってくる。今日も朝から家を出たものの学校には行っておらず、昼を過ぎても帰っていない。
「しょうがない子ですねぇ。高校は義務教育ではないのでこのままでは出席日数が危うい教科があると、家庭からも本人に伝えてください」
先生の言葉にため息がこぼれた。受話器を置いて台所に向かう。
昔から嫌だと決めたらなにがなんでもやらない子だった。学校をさぼる本当の理由はわからないが、今のクラスは友人が少なく面白くないのだと言っていた。バイトも長続きせず、時々単発バイトに行っているようだ。
紅茶を淹れた。香りが立ち上がり、鼻腔を揺らす。椅子に腰かけて、紅茶をすすりながら学生時代を思い返してみた。

母親とは毎日のように喧嘩し、女友達に翻弄され、彼氏に依存し、家にはほとんど帰らなかった。公立高校は2年で中途退学し、翌年には単位制の高校へ通った。バイトと遊びに明け暮れた生活は、大人から見ると危うくみえただろう。自分ではうまく生きているつもりだった。
自分に比べると息子の生活なんてかわいいものだが、教育熱心なこの街では過干渉なくらいの母親像と従順な生徒が求められている気がする。

わたしは小さなころから、友達が遊びに来てもひとりで本を読んでいるような子どもだったらしい。女友だちとつるむようになって本とは距離ができた。だが、長いブランクを挟んだここ数年で、再び本を手に取る時間が増えた。
二十歳のころアドラー心理学を学んだことがあった。47歳の今、また心理学を学んでいる。好きなものは案外変わらないのかもしれない。

母になったばかりの頃、いい母親になりたいと思っていた。家を清潔に保ち、朝からサラダを作り、寝る前には子どもに絵本を読むような母親になりたかった。そこに近づくための努力は思うようにいかない怒りとなり、子どもに向かった。そもそも子どもがいなくても朝からサラダを作って食べる余裕などない生活だったのだ。できない自分に降参して、自分からほど遠い母親像を捨てたことで、本を読む時間が増えた。心の余裕は文章を書くことに繋がり、再び心理学を学ぶきっかけとなった。
文章を書くことや心理学を学び始めたとき、自分という人間を生きなおしているような錯覚を覚えた。幼かった頃の夢を大人の自分が叶えることで、次のステップに進むことができる。そうやって自分を取り戻しながら少しずつ前に進むのだ。

願わくば息子にもそんな時間が訪れますようにと祈りながら、温くなった紅茶を飲み干した。


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