#1951 道は1つじゃない
映画『モアナと伝説の海2』を見た。
この映画の中で、以下の言葉が印象に残った。
「道は1つじゃない」
この言葉は、そのまま「教育」の文脈にも当てはめることができると感じた。
以下に詳述していく。
大抵の人間は、『「ゴール」「目的地」に辿り着くまでの「道」は1通りしかない』と決めつけている。
モアナも最初は、目的地までの海路は「1つ」しかないと思い込んでいた。
しかし、ある人物に出会い、「道は1つじゃない」「迷いながら、自分で新しい道を開拓していく」ということに気づかされる。
これは、「教育」でも同じである。
大抵の教師や親は、「正解に辿り着く道は1つしかない」「知識を獲得する方法は1通りしかない」と思い込んでいる。
だからこそ、トップダウン型で、教師主導の一斉指導を志向するようになる。
「この方法でしか、子どもたちは正解に辿り着けないし、知識を獲得することができない」と考えている。
しかし、上記のようなトップダウン型の教師主導による一斉指導をしても、子どもたちが与えられた特定の「正解」「知識」はもろく、すぐに記憶から忘れ去られるものとなる。
簡単に、何の失敗も苦労もなく手に入れた知識は、無味乾燥であり、中身が伴っていない「ハリボテ」なのである。
だから、教師主導で演繹的に知識を教わっても、子どもたちはその知識を他の文脈で活用することができず、すぐに忘れてしまうのだ。
いわば、「死んだ知識」を詰め込んでいるだけなのである。
ここで重要となるのが、冒頭で紹介した言葉だ。
「道は1つじゃない」
迷いながら、自分で新しい道を開拓していくのである。
つまり、「冒険」「探究」をするのである。
このような冒険・探究には、「失敗」がつきものである。
右往左往するし、試行錯誤も伴う。
そして、このような冒険・探究には、「仲間」の存在も欠かせない。
今回の「モアナ2」では、新しい仲間と共に航海に出た。
このように、仲間と協働しながら、ピンチを乗り越えていく。
さらに、教師の役割も変わっていく。
これまでゴールに辿り着く「唯一の道」を先導してきた教師は、その役目を変わらざるを得なくなる。
冒険・探究の「伴走者」「支援者」となるのだ。
つまり、教師は「ファシリテーター」としての役割を果たすことになるのである。
もちろん、「ゴール」「目的地」への道は「一直線」ではない。
つまり、すぐに正解を導き出すような「システム1」の思考ではなく、メタ認知を働かせる「システム2」の思考が必要となる。
そして、その冒険・探究には、特定の「文脈」が伴う。
無味乾燥な知識を得る場合とは違い、オリジナルで個性的な文脈が必然的に付与される。
このような冒険・探究を経て、目的地にやっと辿り着き、そこで帰納的に得られた知識こそが「生きた知識」となる。
それこそが、長い間、脳に刻まれる深い知識となるのだ。
このように、子どもたちに「生きた知識」を獲得させるためには、
「探究」「目的地・ゴール」「失敗・試行錯誤」「システム2の思考」
「仲間との協働」「ファシリテーターとしての教師」「文脈の付与」
などの要素を重視することが求められる。
「1つの道」を盲信させるのではなく、迷いながらも、自分たちで新しい道を開拓させる。
このような教育の在り方が必要なのである。
そんなことを「モアナ2」を見て、考えさせられた。