#1894 短く伝わる前提をつくる
学級開きの王道として、「先生が叱る3つのこと」という実践がある。
子どもと初対面したときに、
「先生は次の3つのことをしたときに叱ります。
1つ目、命に関わることをしたとき。
2つ目、友達の心を傷つけたとき。
3つ目、できるのにやろうとしないとき。」
と所信表明をすることである。
この3つの内容は人それぞれ違うだろう。
しかし、この「叱る3つのこと」実践は、全国どの教室の学級開きでも、いまだに行われていそうである。
私も過去にそんな学級開きをしていた。
しかし、この実践にはいくつかの穴がある。
まず、「3つのことをしたとき」と言っても、それ以外の子どもの言動を見聞きすると、ついつい叱ってしまうということだ。
叱られた子どもからしたら、「あれ、3つのときしか叱らないんじゃないの?」と思うだろう。
また、「3つのときに叱ります」とトップダウンで宣言されたら、子どもは萎縮してしまうだろう。
いきなり初対面の大人に「~のときは叱るよ」などと言われても、腑に落ちないのである。
「叱る」ことに関して、別の観点で考えてみよう。
教師は子どもの不適切な言動を見聞きしたとき、ついついカッとなって叱りつけてしまう。
そして、「怒りの感情の強さ」に比例し、その「説教の時間」はどんどん長くなる。
長時間叱っても意味がないのに。
では「短く叱ればいいのか?」と思われるが、そうではない。
短く叱ったとして、そこに学習効果がなければ無意味なものとなる。
では、どうすればよいのか?
結論としては、「短く叱っても、教師の意図が伝わる前提をつくる」ということだ。
学級開きによく行われる「叱る3つのとき」は汎用性がない。
その弱点を補うためには、より汎用性のある「教師が叱る基準」を伝える必要があるのだ。
その基準とは「自分や相手の存在を大切にしていないとき」である。
「友達に暴言を吐くこと」は、相手を大切にしていないことになる。
もちろん、「暴力」もそうだ。
「しなければならない勉強をサボること」は、自分を大切にしていないことになる。
「危険な行為をすること」も、自分の「命」を大切にしていないことになる。
このように、「自分や相手の存在を大切にしていないとき」という叱る基準は、汎用性が高いのである。
この「前提」を教室内で共有するのだ。
いきなり学級開きで共有するではなく、数日経ってからがよいだろう。
こうして、「教師が叱る基準」という前提が共有されれば、教師が叱るときはいつも「自分や相手の存在を大切にしていないとき」であることが理解できる。
逆を言えば、教師の意図である「自分や相手の存在を大切にしよう」というメッセージを暗に伝えることができるのだ。
この意図を子どもたちがキャッチすることができれば、行動は改善されるし、同じ過ちは減っていくだろう。
教師の「叱る時間」も短くて済むのである。
なぜなら、短い言葉で叱っても、「教師側の叱る意図」が前もって共有されているからである。
しかし、この「前提」が共有されていないと、教師側は「意図」を伝えるために、必死に言葉を紡ぐようになり、説教の時間が長くなってしまう。
これを防ぎ、短時間で高い効果を上げるために、「短く伝わる前提」をつくっておくのである。