#1933 姿勢ってそんなに大切?
古い教育観をもつベテラン教師ほど、子どもたちの「姿勢」にこだわる。
子どもたち全員が、背筋をピンと伸ばすことを強制する。
体育では、教師が話をするときに、子どもたち全員が「気をつけ」「体育座り」をしないと気がすまない。
一人でも上記のような「良い姿勢」ができないと、いつまでも待つ。
そして、指示に従うよう、プレッシャーを与える。
このように、子どもたちに「教師が意図した姿勢」を強制する。
たしかに「猫背」は学習に支障をきたす。
しかし、背筋をまっすぐに伸ばさず、多少曲がっていてもよいと考える。
全員が「体育座り」をしなくてもよいではないだろうか。
「教師」という職業は、「軍隊」を相手にしているわけではない。
軍隊を束ねる兵長ではない。
指示や説明が通りさえすれば、「姿勢」などというものは揃える必要はないと言える。
「授業中は、姿勢がよくないと、学習内容が頭に入らない」
「体育のときは、『気をつけ』や『体育座り』ができないと、安全面が不安である」というベテラン教師の言い分が聞こえてきそうだ。
しかし、その考え方こそ、古い教育観を引きずっている典型なのである。
大切なのは、「姿勢」という「形式」ではない。
授業そのものや指示・説明という「内容」こそ「本質」なのである。
教師は、「形式」よりも「内容」の充実を目指さなければいけない。
「教師が意図した姿勢」を子どもたちに強制する行為は、教師の自己満足でしかないのだ。
自分の思い通りに子どもたちを従わせ、コントロールしたいだけなのである。
しかし「教師」は、軍隊を束ねる兵長ではない。
それぞれ唯一無二の個性をもつ「子どもたち」を相手にしているのである。
そのような個々の子どもたちを、決まりきった「姿勢」という形式に当てはめることに心血を注いでも意味はない。
教師は、授業の「内容」「中身」で勝負すべきなのである。
私は現在、ベテラン教師の命令により、体育の授業中、子どもたちに「体育座り」を強制している。
本当はそんなことはしたくないのだ。
子どもたち全員が体育座りを無理矢理「強制」されている姿を見ると、「軍隊」を相手にしているようで気持ちが悪くなる。
ベテラン教師にたてつく勇気はないので、今は我慢する。
しかし、古い教育観をもつその教師から離れたら、自分のやりたい「授業」を追究したい。
もう「姿勢」にこだわる古い教育観から卒業していこう。