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#1913 教科ごとにやる気が違うのはなぜ?

中動態シリーズ第3弾。

今回も「中動態」をキーワードにして、教育について考えていきたい。

今回の話題は、「教科ごとにやる気が違うのはなぜか?」である。

図工や体育ではやる気があるのに、算数や国語ではやる気がない子ども。

まさに「あるある」である。

では、なぜこのような現象が起きるのかを、「中動態」を媒介にして考察してみたい。


図工が人気な理由

「図工」は、小学生から不動の人気を獲得している教科である。

なぜこんなにも人気なのだろうか?

なぜあんなに子どもはやる気になるのか?

それは、「自由」が保障されているからであると考察する。

まず、教師から「導入」として、その単元のテーマや題材が紹介される。

ここには、やや限定的な要素が存在する。

しかし、小学生は教師からテーマや題材を一方的に紹介されたとしても、「描きたい」「作りたい」「やりたい」と自発性を発揮する。

つまり、「能動態」に近い状態となる。

その後も、用具や材料の若干の縛りはあるものの、選択肢が豊富に存在する中で活動をしていくことになる。

机の上のみで活動させる教師もいるが、比較的に自由な場で活動させる教師もいるだろう。

「友達とのおしゃべりもOK」となる場合も多い。

そして、アウトプットする「作品」の成果も自由である。

このような「自由」がたくさん保障されているのが「図工」という教科なのである。

「非自発的同意」のもとで活動する「中動態」にならずとも、より多くの「自由」な場で伸び伸びと活動することができる。

だからこそ、小学生は「図工」という教科が大好きなのである。

しかし、例外もある。

それは、「絵を描くのが苦手」「図工が嫌い」という子どもの場合である。

この場合、「非自発的同意」のもとで活動する「中動態」か、同意せずとも嫌々活動する「受動態」という姿になるだろう。

体育も人気であるわけ

「体育」という教科も、「図工」に負けず人気である。

「体育」の授業では、やる気になる子どもが多い。

そこには、やはり同じ構造が存在する。

それは「自由」な場の保障である。

教師からその時間に行う「運動内容」を規定される。

しかし、「図工」と同様に、それ以外は比較的「自由」が保障されている。

自分の身体を、自分が自由にコントロールすることができる。

それまで貼り付かされていた「机と椅子」から解放される。

試行錯誤をする時間が保障される。

友達と話しながら運動することができる。

やはり、「体育」という教科においても、「能動態」に近い状態になることが多いのだ。

しかし、例外もある。

「図工」のときと同様に、「運動が苦手」な子どもの場合である。

その場合、やはり「中動態」または「受動態」となるだろう。

子どもの不人気の国語・算数・社会

逆に、子どもに不人気である「ワースト3」を考えてみる。

私は経験上、「国語」「算数」「社会」であると考える。

「次、国語だ!やった~」
「算数、大好き~!」
「社会、超楽しい!」と言われたことはあまりない…。

なぜこのような現象になるのか?

それはやはり、「自由」の保障が比較的少ないからであると考察する。

上記のような教科学習では、子どもたちは机と椅子に拘束される。

学習内容も教師に一方的に規定される。

使用するツールも限定される。

多くの場合、ノートに板書事項を写すことになるだろう。

友達とのおしゃべりは原則禁止される。

「はい、話し合って」と教師に言われたときしか、友達と話すことはできない。

「やらなければならないこと」が多すぎて、「自由」がほとんど保障されていないのである。

教師の権力により、なかば「強制」されているのである。

このような場合、「中動態」か「受動態」かの選択肢しか生起しない。

教師を忖度することができる「お利口さん」は、非自発的ではあるが、教師の意思に同意して学習する。

いわば「中動態」として学習することになる。

一方、教師に反抗的な「やんちゃくん」は、同意せず嫌々勉強を始めるか、それをも拒否するだろう。

いわば「受動態」として振る舞うことになる。

このように、上記のような教科学習では、「能動態」に近い状態を引き出す可能性が乏しいのである。

だからこそ、「忖度して学習する」か「嫌々やる」かの二択になり、「国語」「算数」「社会」は子どもに嫌われるのである。

全ての教科を人気にする方法

そんな「嫌われ者」たちを、簡単に人気にする方法は残念ながら存在しない。

しかし、人気である「図工」や「体育」などの教科からヒントを得ることはできそうだ。

「理科の実験」や「家庭科の調理実習」だって、子どもたちに人気である。

このような人気な教科・時間には、共通して「自由」が保障されているのだった。

だとすれば、「国語」「算数」「社会」などの教科学習にも「自由」の要素を入れ込めばよいのだ。

それを可能にするのが、今注目されている「自由進度学習」である。

学習する内容やテーマは教師から発せられる。

これは「図工」や「体育」と同じである。

しかし、その後の学習活動さえも、子どもに任せてみればよいのだ。

どこの場所で学習したっていい。

誰と話しながら学習したっていい。

多様なツールを自由に選択することができる。

学習成果物を自分なりにアウトプットできる。

これからは、時間割さえも自分なりにカスタマイズできるかもしれない。

このように、「自由」を保障するだけで、「能動態」に近い状態を引き出すことができるのだ。

ただし、学習指導要領から逸脱しないよう、そして子どもたち一人一人に学びが生起するよう、教師は見取りとフィードバックをしなければならない。

これが実現できれば、子どもは「国語」「算数」「社会」だって好きになってくれるはずである。

やる気になってくれるはずである。

だって、「図工」や「体育」と構造は似ているのだから。

だが、やはり例外もあるだろう。

「図工」や「体育」と同様に、「苦手」「中身自体が嫌い」という場合である。

これは仕方のないことではある。

しかし、教師はそこで諦めず、その教科を「好き」になってもらえるよう努力することが求められる。

それはどの教科でも同じである。


以上、「中動態」を媒介にして、「教科ごとになぜやる気が違うのか」を考察してきた。

そこには「自由」という概念が存在していることを確認した。

これからの授業デザインでは、この「自由」という概念がキーワードになりそうである。

「自由」を保障しつつ、一人一人の「学習」も保障する。

この両立が重要になっていくだろう。

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