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#1423 学級経営における構成主義
最近の授業づくりでは、「構成主義」の考え方を重視する流れが主流だ。
しかし、この「構成主義」の考え方は、学級経営にも当てはまる。
例えば教室では、子どもがよく問題行動を起こす。
このとき、教師は子どもに「どうあるべきか」を指導する。
つまり、「道徳」を指導する。
しかし、子どもはそう簡単には変容しない。
そう簡単にはその道徳を理解しない。
教師の指導は正論なので、子どもでも理屈はわかる。
しかし、その意味・概念を真に理解したわけではない。
また、教師がいくら全体に指導したとしても、それをスポンジのように全て吸収することのできる子どもはいない。
すぐに理解できる子、半分は理解できる子、話を聞いていない子、理解できない子、忘れてしまう子など、教師の指導の捉え方は子どもによって異なるのだ。
これは、まさに「構成主義」の考え方なのである。
子どもは白紙の状態ではない。
すでに何らかの「生活的概念」を有している。
そのような個性的な子どもたちに、教師がいくら道徳的な指導をしたとしても、全員の子どもを100%変容させることはできないのである。
なので、「同じ問題行動を繰り返す」ことは当たり前なのである。
「前に言ったでしょ!」は通用しないのだ。
授業では、子どもの内部で知識が個性的に構成される。
この構図と同様に、学級経営では、子どもの内部で道徳が個性的に構成されるのである。
道徳は知識と同様、大人がトップダウンで100%伝達することはできないのである。
道徳も知識も、個人の内部で個性的に構成されていくのである。
したがって、子どもの発達・成長を長期的視野で捉え、余白をもつことが重要なのである。
子どもに道徳を押し付けてはいけないのだ。
このことを肝に銘じておきたい。
では。