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二重人格Part1 遅すぎる精読 脱構築批評

そのつぎの日、きっかり八時に、ゴリャートキン氏は自分のベッドの上で目をさました。するとたちまち、きのう一日のあらゆる異様な出来事や、ほとんどありうべからざるような奇怪な出来事にみちた、とうてい信じられないような奇怪な一夜のことが、一度に不意に恐ろしいほどまざまざと、脳裡に浮かび記憶によみがえって来た。彼の仇敵どものいだいているこのような冷酷無情な恐るべき悪意、とりわけこうした悪意を証明するような最後の出来事が、ゴリチャートキン氏の心臓を凍らせた。だがそれと同時にこれらのことがすべてあまりにも異様で、理解しがたく、奇怪でありうべからざることのように思われるので、これがすべて本当のことであるとは実際とても信じられないほどであった。現にゴリャートキン氏自身ですら、なにこんなことはすべて実際にはありえない幻覚だ、瞬間的な心の迷いだ、心の鏡が曇ったのだと思い込みたかったかもしれない。しかし不幸なことに、ときとして悪意というものが人間をいかなる所行にまで走らせるものであるか、また名誉心と野心のために復讐をくわだてる仇敵の兇暴性が、ときとしていかなる程度にまで達しうるものであるかを、彼は苦い浮き世の経験によって知っていたのである。またそればかりではなく、ゴリャートキン氏のぐったりと疲れきった四肢や、ぼんやりと濁った頭、めりめりと痛む腰や悪質の鼻風邪は、きのうの夜の彷徨と、その彷徨の間に起こった大小さまざまな出来事の確実性を、頑強に証明していた。それに最後にまたゴリャートキン氏は、どこかでなにかをたくらんでいる人のいること、またそこには誰か換え玉が用意されているということを、もうずっとずっと前から承知していたのである。しかし―いったいどうすればいいのだ? よくよく思案をめぐらした末ゴリャートキン氏は、このことについてはある時期が来るまで沈黙を守り、服従し、なにも反抗しないことに心を決めた。

第六章 p95,96

朝起きれば、人格が別に入れ替わっており、どういうアイデンティティなのか分からずにいるが、さまざまな人間の人格の「悪意」が垣間見える能力を持つ。自分のことは一番、自分が分かっているというのは間違いで、だが、それは自分も他人も同じく人間なのだから、他人をみる視点ですら悪意が感じても、人格は読み取れない。だから、悪意は物理を操るもの以外は「悪意」とはいえない。しかも、その悪意を読み取ってしまって元の人格が身体に一致する。

ときとして悪意というものが人間をいかなる所行にまで走らせるものであるか、また名誉心と野心のために復讐をくわだてる仇敵の兇暴性が、ときとしていかなる程度にまで達しうるものであるかを、彼は苦い浮き世の経験によって知っていたのである。

悪意を神格化すれば「悪魔」となるが、それが現代のファウストたちが「魂」を売る契約をして助力を得ようとする。名誉や野心、プライドを守り抜くためには、リスカや薬物に頼るのが現代のファウスト所以であるが、それもファウスト的衝動ないしはすべてを知り、すべてを体験して、自我を無限に拡大しようとする衝動を取り戻すときが、守り抜くときに起こる防衛機制だ。
人生にかける復讐に、ファウスト的衝動にもとづいて行動するときに、滲み出る凶暴性にすら理念を感じるのだろう。
人を殺した経験がある人にとっては、心臓がバクバクしながらさまざまな後悔や邪念を吸収し、過剰なストレスによって過呼吸を起こすが、和らいだらまた残虐性が加速する。
悪意がファウスト的衝動によって、名誉や野心を守るために人を殺すと、新たな人格が記憶に刻まれるのだろう。

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