自分を牽引するリーダーシップを持って、「改めてお寺と出会っていく」ということ/エリクセン恵さんインタビュー
お坊さん自身の生き方や働き方を考える、お坊さん向けのキャリアスクール「TERA WORK SCHOOL」。noteの執筆を担当している、ライターの林です。
今回は、第一期から講師をお願いしている、エリクセン恵さんにインタビューしました!
TERA WORK SCHOOLで恵さんの担当する講座は、「自分と向き合い、自分のあり方を考える」土台となる内容。ご自身が普段から講師として行っている「リーダシップ教育」を、TERA WORK SCHOOLでも実践してくれています。
お坊さんに必要な「リーダーシップ」とは? 自分と向き合う時に知っておいてほしいこと。そして恵さんご自身の「あり方」について。たっぷりと話を伺いしました。
まず必要なのは
“自分の人生をリードしていく”リーダーシップ
──恵さんが表現しているリーダーシップは、いわゆる“人を牽引する強いリーダーシップ”とは、違うものとお伺いしました。
そうなんです。私が伝えていきたいリーダーシップとは、「自分の人生を引っ張っていく」リーダーシップです。
2011年の東日本大震災の後、東北で地域の若手リーダーを支援するプログラムをしていたことがあります。社会問題に立ち向かうリーダーは、社会的な責任感や使命感を持ってプロジェクトをリードしているのですが、同時にものすごく疲弊している姿を目の当たりにしました。社会問題となると、ゴールが遠く明確な解決方法もない。ベンチマークも立てられない。そもそも終わりが見えにくいものです。
そんなときに彼らに必要だったのは、無理矢理頑張ることではなく、立ち止まって自分自身を振り返ることでした。
「さまざまな選択肢があるなかで、自分はなぜこの活動をしているのか?」
思いの原点や幼少期の体験、人との出会いなど、行動には何かしらの起点があります。それを掘り下げていくと、「だからこの活動をやっているんだ」という納得感が生まれます。そうすると「自分」と「自分の活動」の距離がグッと近くなる。リーダーたちの活動規模も大きくなりますし、地域への貢献度も速度も、大きく速くなっていきます。
私はお坊さんも同じではないかと思うんです。運営の綾子さんや勲さんも普段から話していますが、お寺の運営やあり方にも正解はなく、終わりもありません。そしてお坊さんは、お寺やお寺が存在する地域や社会について考え続ける立場だからこそ、より一層、自分の人生をリードするリーダーシップを持てるといいのではないか、と。
お寺や仏教の教えは一旦横に大切に置いておく
その意図とは?
──実際の講座は、どのように進んでいくのでしょうか?
全4回のセッションのうち、前半の2回を担当しています。各テーマは、1回目が「個としての自分に戻る。僧侶であるまえに、誰であるのか」で、2回目が「大切にしたいことを見出す。何が自分を動かしているのか」です。
前提として「自分を知る」ことがリーダーシップ教育の原点です。自分の内面の気付きや変化が、外側の変化につながっていく。まず自分の人生を引っ張るリーダーシップがあり、それが組織や地域、社会のリーダーシップへとつながっていきます。
なので講座のはじめには、「お寺や仏教の教えは、一旦横に大切に置いておきましょう」という話をします。お坊さんは特に「〇〇宗〇〇寺のお坊さんとしての自分」と「個人としての自分」が、とても強く結びついているように感じます。肩書きが強固なぶん、どうしても引っ張られてしまう。仏教の教義やお寺の存在はもちろん大切ですが、この場では自分自身に矢印を向けて、内側を探る時間にして欲しい。自己紹介も「〇〇宗・〇〇寺の〇〇」ではなく、個人として自分のことだけをお話ししてもらいます。
また、私たちの中には「お坊さんは立派である」という印象も強いので、期待されている役割を全うしているうちに、自分自身が見えなくなりやすいようです。ですがグループワークを通して、一人ひとりがユニークな存在であることが本当によくわかります。同じお坊さんでも、いろんな背景や起点、そして信念がありますよね。
たとえば、講座の中で自分が重んじている「価値観キーワード」を5つ選ぶワークをするのですが、その組み合わせが一緒の人はまずいません。また、それらから見えてきたものを、運営や参加者同士で共有してフィードバックをもらうので、「自分」が浮き彫りになってきます。
最後には「箱に入れておいた仏教やお寺を出してみよう」と投げかけます。「これまでのワークで出てきた自分自身と、お寺や仏教がどうつながるのでしょう?」と。そこで、参加者は「仏教やお寺と改めて出会う」ことになります。何を感じるかは人によって異なると思いますが、これまでの卒業生も、また新しい出会いをして、それぞれの取り組みを始めています。
このスクールでもうひとつ大切なこととして「仲間」の存在があります。自分と向き合うことって、基本的に楽しい作業ではないんです。弱い部分や苦手な部分もたくさん出てくるので、「箱を開けちゃった感」があって。だからこそ、仲間が必要になる作業です。参加者や運営同士は初対面であっても、「自分の大切なコアの部分を一緒に探る」という濃密な時間を体感することで、強いつながりを持った仲間になっていきます。
また、「誰かの一言で自分をより認識できた」など、お互いの存在が自分を知る鏡のような存在になり、グループでのダイナミズムが生まれるのもスクールの良い部分ですね。
すぐに答えを出したりスッキリさせない。
あえて「モヤモヤ」を抱える時間を持つ
──グループの関係性をつくるときに、気をつけていることはありますか?
「居心地の悪いことだけど、居心地の良い空間で」というのが私の信条です。お寺の業界に限りませんが、まだまだ立場や年齢で話をすることが多い世の中です。ですが、このスクールではすべてをフラットに。
私や運営が「正解を提供する」側、参加者は「受け取る」側、といった線引きや上下関係はないですし、そもそも正解なんてありません。ただただ、心の内をその場に出せる、安心安全の場所であることを意識して場を作ります。あとはスピード感ですね。
──というのは?
初回の講義から2回目の講義まで約1ヶ月間ほど間が開くのですが、あえて全体的にゆったりとした構成にしています。今の世の中はすべてのスピードが早いので、スローダウンすることが大切です。自分と向き合うことはゆっくりでないとできないので、立ち止まって掘り下げていく。
講座の進行上、1回目が終わった後はモヤモヤを抱えた状態になる人が多いですね。私たちはすぐに「結論」や「答え」を見つけてスッキリしたくなりますが、そこですぐに正解を求めない。「モヤモヤを握っておく」という状態を過ごしてもらいます。
その間もモヤモヤへの気付きや思ったことは、オンラインツールを活用して仲間でシェアをし合う。そうしてゆっくりと、モヤモヤに対する解像度を高めていき、「自分はどういったことに心が動くのか」など、自分の価値観を丁寧に探っていきます。
「完璧なお坊さん」でなくていい。
悩みながら進む姿に力をもらう人もいる
──スクールでは一人ひとりが“自分自身であること”を探っていきますが、恵さん自身のありたい姿とは、なんでしょう?
実は、自分のことはよくわからないんですよね(笑)。そんな中でも思っているのは、オーセンティックな存在であること。振る舞ったり着込んだり、飾ったりしない存在でいたいです。「これでいいんだ」と思ってもらえるような存在でありたい。
20代半ばでアメリカに渡ったとき、教育を学んで何かの資格を取れば人生が変わるかもしれないと思いました。でも、そのときが来てもいきなり魔法がかかったようには変わりませんでした。
「自分のことを見つめないと」と気付いたのは、学位を手にして証書をもらったとき。「自分の中に既にいろいろあるのかも」と思ったんです。『オズの魔法使い』のようなものですよね。ここにはないと思って外に探しにいくけれど、本当は自分の中にあった。
私自身、まだ自分のことは見えないことも多いけれど、他の人が何を持っているのか、素敵なところを見つけるのは得意なんです。だから、たくさんの人が自分のなかにある“何か”を探すお手伝いをしたい。それが役目かなと思っています。
──最後に、恵さんは「これからのお寺」がどうなっていくと、もっと楽しいと思いますか?
個人的にはお寺でリトリートがしたいです。実は大きな保健室のようなリトリートセンターをつくりたいという夢があって。世界中から人が来て、余白のある時間を楽しみ、その時に必要な問いを得ていくような。
お寺は存在自体はもちろん空間の力もあり、入るだけでマインドが整います。自然とベクトルが自分へと向いていくような場所なので、リトリートと親和性がとても高いと思います。
あとは、お坊さん一人ひとりに人間的な魅力がたくさんあるので、そうした面が見えてくるといいですよね。お坊さんにだって悩みや不安が色々ある。そんな素を見せてくれるお坊さんがいてくれることで、救われる人もたくさんいると思います。
昔は「完璧なお坊さん」という絶対像が必要な時代もあったかもしれません。でも、これからはきっとそうではない。お坊さん自身が悩みながらも自分の人生をリードして生きようとする姿が、人々を勇気づけるのではないでしょうか。
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