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「来る者拒まず」精神が新しい風を生む。宿坊や仏教を次世代へ伝える身延・覚林坊の挑戦

比叡山や高野山とともに、仏教三大霊山とされる、山梨県は身延山。格式高い印象がある反面、「意外と寛容さもある土地なんです」と話すのは、日蓮宗の寺院・覚林坊(かくりんぼう)の副住職・樋口是皐(ぜこう)さんです。

現在、身延にはお寺が運営する宿泊施設である“宿坊”が約30件も軒を連ねています。そのうちの一つ「覚林坊」は、宿坊の運営を通して、お寺や身延のまちについて考えてきました。

宿坊が減りつつある今、700年以上続く宿坊文化のこれから、そしてお寺のあり方について何を思うのか。是皐さん、覚林坊の女将・樋口純子さん、身延に移住し従業員として働く遠藤史哉さんに話を聞きました。

減り続ける宿坊。新たな価値をどう生み出すか

宿坊・覚林坊を切り盛りするのは、副住職・樋口是皐さん(23歳)、是皐さんの母であり女将の樋口純子さん(51歳)、そしてスタッフの遠藤史哉さん(29歳)をはじめとした、身延に移住して働く方々です。

「住み込みで働く人も含めて、スタッフは10人ほど。10代やフランス人のスタッフなどさまざまです。これまでも、近所の方が出入りしたり、お坊さんを目指して住み込みで修行する人がいたりと、覚林坊には多様な人が行き交ってきました」(是皐さん)

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副住職の樋口是皐さん

そもそも宿坊とは、参拝者が宿泊できる寺院の宿舎のこと。宗派の信徒たちが家族や親族でお参りに来る際に、宿泊所として利用する場所でした。

「昔の信徒の方々は、年に一度、各地から遠路はるばる農作物などを持って、身延山にお参りに来られました。お参り自体も、今とは違って朝夕のお勤めに参加したり、お上人と話したりと、十分な時間をかけていました。1週間くらい滞在することもざらだったので、宿泊の必要性が生まれたのが宿坊の起源だと思います」(純子さん)

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しかし、時代とともに交通事情や信仰のかたちも変化し、お参りのために長期滞在する信徒の方はほとんどいなくなりました。「統廃合などもあり、今に残る宿坊は30数件。実際に参拝者を受け入れているところは20件ほど」だと言います。

覚林坊は、既存の宿坊運営にとどまらず、一般客の受け入れ、地物を使った精進料理を堪能できる「おてらんち」や、お寺の静謐な空間でヨガに没頭できる「寺ヨガ」など、新たな取り組みにも積極的に動いてきました。

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湯葉やあけぼの大豆など、地域の特産を生かした品々(写真は覚林坊提供)

その背景には「お寺も、宿坊も、身延のまちも過渡期にある」という危機感があります

「私の世代までは、子どもが生まれた時、菩提寺の住職に名前をつけてもらったり、七五三、結婚など、人生の節目にお寺に報告するなど、お寺と関わる機会はまだ多かったんです。今はそういう機会や文化が失われつつあります」(純子さん)

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覚林坊の女将・樋口純子さん

かつては、教育や医療、戸籍の管理など、お寺が多数の社会的役割を担っていた時代もありましたが、今では「お寺が社会の中での役割を見失っている」と是皐さんは言います。

大学進学時に気づいた、お寺の可能性

お寺の現状、来訪者が減り衰退しつつある身延のまちを目の当たりにして、是皐さんは「宿坊やお寺に向き合い、取り組みを通じてまちに貢献したい」と考えるようになりました。

今でこそ、身延に戻り活動する是皐さんですが、お寺を自身のアイデンティティとして認識し出したのは、意外にも大学進学の過程だったそうです。

「高校から身延を出ていて、スポーツの実績を活かして、仏教とは関係のない大学を受験する予定でした。そんな中、AO入試の志望理由書で自分らしさを掘り下げていた時に、友人から『お前の実家って寺なの?』と言われて。そこで初めて、お寺で生まれ育ったことが特別なのかもしれないと気づいたんです」(是皐さん)

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この気づきから、是皐さんはお寺の面白さに思いを馳せるようになります。

「お寺は檀家さんとの関係で成り立っているところもあれば、覚林坊のように宿坊を運営しているところもある。宿坊の運営方法もさまざまです。お墓がビル型(自動搬送式納骨堂)になっているところもありますよね。お寺ごとに仏教の解釈があり、それを形にできる寛容さに魅力を感じて、『お寺の可能性って面白い』という思いが深まっていきました」(是皐さん)

「僧侶だからこそできることがある」と、仏教系の大学へ進学。是皐さんは僧侶として覚林坊へ戻ることを決意します。

一方、純子さんは、是皐さんが帰ってきた時のために「身延に賑わいをつくる」目標を掲げ、前出の「おてらんち」や「寺ヨガ」といった新しい取り組みを始めました。

「息子が帰ってきた時に、まちやお寺が“砂漠状態”では申し訳ない。後を継ぐ決意をしてくれたおかげで、私も覚林坊を変えていく決心がついたんです」(純子さん)

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多様な人が行き交う、地域の中核にしたい

純子さんは、宿泊客に「どんな取り組みがあったら良いか」と丁寧にヒアリングを重ねて、ひとつずつ企画を実現していきました。すると、海外からの利用者の口コミをきっかけに評判が広まり、ファンやリピーターが増加。人が行き交う「賑わいづくり」は徐々に軌道に乗っていきました。

都内の大手ゼネコン企業を退職し移住した遠藤さんも、覚林坊の思いや取り組みに共感した一人です。

「4年前、会社員だった時に1週間ほど休みを取って覚林坊に宿泊したんです。当時、漠然と町おこしと教育に関わりたいと思っていて、女将や住職から身延が置かれた現状や課題、そして覚林坊の方々が持つビジョンを聞いて、『この土地だったら自分がやりたいことができるかもしれない』と思いました」(遠藤さん)

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滞在を機に移住をした遠藤史哉さん。今では覚林坊の中心的スタッフです

その後、仕事を辞めて単身身延へ。純子さんは驚いたものの、「仕事を辞めちゃったならしょうがない。やりたいことの準備をしながら覚林坊を手伝って」と遠藤さんを受け入れました。

「困った時に『来る者拒まず』『持ちつ持たれつ』で助け合う、お寺のマインド…というか覚林坊(樋口家)の温かさに惚れ込んだところも大きいです(笑)。この温かさを大事に、地域住民、観光客、二拠点として利用している人など、さまざまな立場の人たちが気持ち良く過ごせる地域の中核として、宿坊を機能させていきたいです」(遠藤さん)

「覚林坊には、遠藤くんのように他地域からやってきた若い人がたくさんいます。彼らは地元の人の固定概念に捉われず、新鮮な意見を出してくれる。彼らのおかげで、今後に向けてお寺やまちが『変化する部分』や、反対に『残していく部分』をより鮮明に考えることができました。もともと日蓮宗や身延は、宗派や性別などにこだわらず、多様な人を受け入れてきた背景を持っています。若い人や彼らの意見、新しいものを否定せずに受け入れる姿勢は、これからも大切にしていきたいです」(是皐さん)

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宿坊は、これからの時代の“布教”になる

今後、お寺がどういう価値を提供していけるかは、「正直まだ模索している」ものの、宿坊やお寺、身延のまちを次世代につなげていくために、「時代に合わせた変化を受け入れ、変わることを楽しみたい」と、是皐さんたちは話します。

そんな覚林坊が目指すのは、「身延山のリーディングテンプル」です。

「先ほど『残すものと変化させていくもの』の話をしましたが、僕たちは身延を単なる観光地にしたいわけではなく、日本文化や信仰、観光も兼ね備えた、賑わいのあるお山にしたいんです」(是皐さん)

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「そのためには、伝え方や手段は時代に合わせて変えてもいいと思っています。今の時代、『南無妙法蓮華経を唱えましょう』では、敷居が高いですが、宿坊は『お寺に泊まる』という気軽な文化体験を通じて、宗教を身近に感じてもらえる、新しい時代の“布教”になるのではと感じています。これからは自分がいるからこそできる、仏教的な体験を増やし、よりお寺という場を体感してもらいたいですね」(是皐さん)

「覚林坊は、約550年前に身延山存続のために大事業を成し遂げた日朝上人が開祖なんです。そうした由縁のあるお寺ですから、身延を未来につないでいくために、まちを盛り上げていく存在になれたらと思っています。そのために、今の時代は僕たちが頑張っていきます」(遠藤さん)

取材・文:五十嵐 綾子、撮影:栗原洋平

行学院 覚林坊
山梨県南巨摩郡身延町身延3510
0556-62-0014
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