袴田秀子さんのこと
2024年9月26日、静岡地裁は袴田巌元死刑囚に再審無罪判決を下した。検察が控訴を断念したため、判決が確定。袴田さんは晴れて自由の身となった。
袴田さんに関わる雑誌や新聞の記事を読むと、いつもそこに袴田さんの姉・秀子さんの存在があることに気付く。そして、私はだんだん秀子さんのパーソナリティに興味を持つようになった。
まず、秀子さん(現在91歳)はいつも快活でお元気な様子なのだ。巌さんはいつ死刑執行されてもおかしくない長期の拘置所生活の中で精神を病んでしまい、2014年に釈放された後も意思疎通が難しい様子と言われる。その上、つい最近まで弟の無罪は確定していなかった。そんな状況なのに、秀子さんには悲愴な印象が全くないのだ。
そのことは袴田さんのドキュメンタリー「拳と祈り」を撮影した笠井千晶監督の言葉からも窺えよう。
また、こんな側面も。
私もかつては「普通の幸せを捨てて、冤罪の弟を救うために全てを犠牲にしてきた姉」というようなストーリーを想像してしまっていたが、どうも秀子さんはそういう感じの人ではない。弟のために犠牲になってエネルギーを使い果たしてしまった、というのではなく、いつでもエネルギーに満ちている感じがする。
おそらく、秀子さんは自分の人生を愛しているんだと思う。自分のことを大切にしているからこそ、巌さんを救援する活動をずっと続けてこられたのではないだろうか。自分を犠牲にしてしまっていたら、疲弊してしまうし、社会や周囲の人々への怒りや恨みも生まれてしまっていただろう。
上記の記事では「(秀子さんは)最初から超越していた、達観していたわけではない」とも語られているが(4ページ)、しかし、私の考えではこういうパーソナリティーというのは遺伝的な要素(生まれつき)が強いのではないかと思う。
では、秀子さんのような卓越した人の生き方はその他の普通の人には役に立たないか、と言うと、そうではないと思う。
自分の人生を愛すること、自分を大切にすること、その上で自分を犠牲にせず、他者を思いやること。そういう行き方があると知っているだけでも違う。誰もが自分の中にある光を大切したい。
最後に、イエス・キリストにおける我々の兄弟、パウロ袴田巌さんとその姉・秀子さんに平穏で幸福な日々がいつまでも続くようお祈り申し上げます。