テラジア アーティストインタビュー vol.5 ズン・エイ・ピュー(アーティスト)
アートの道、医学の道。
アーティスト ズン・エイ・ピュー(以下、ズニ)には、アーティストと医師という2つの顔がある。彼女はどのようにして現在の活動に至ったのかをまずは聞いた。
「6歳の時に子どもの美術コンクールがあって、『参加したいです』と参加することになったんですが、確か『麻薬防止』みたいなテーマでした(笑)。学校は、国際的な子どもの絵画コンクールにも作品を応募してくれて、4年生の時に日本の福岡児童作品展で金賞をもらいました。私に芸術の才能があるかもしれないと気づいた親が、その後アートの先生を付けてくれて、そこから絵を描くことが本格的に始まります。」
そんな幼少期に絵を描き始めた彼女の初めてのメンターは、自身の父親だったという。
「父に言われたのは、『何かをつくる時には、そのアイデアが一番大事だよ。アイデアを一番良く表現できる方法ですればいい』ということです。父はアニメーションをやっていてすごくクリエイティブな人で、私のロールモデルでした。
その後も、いつも『美術室で作業してます』みたいな感じで。そうこうしていたら、高校入学時に、親に別の学校に転校させられました。もうちょっと勉強しろ、と(笑)。でも転校先の校長先生が、私の成績や記録を見て、絵は続けてコンクールにも参加し続けなさいと、絵を描くことを推奨してくれたんですね。」
そうして10代の頃からキャリアを始めたズニだが、その後、医大に進学し医者として働くことになる。
「医者になるというのは、家族の希望でした。私自身は幼い時から医者になりたいと思ったことは一度もなくて、薬を飲むのは嫌いだし、病院の匂いも苦手だったんです。しかし医学を勉強することになったので、腫瘍学をやろうと考えました。死にゆく人たちの死をより良いものにしてあげたい、そういう興味から専攻したんです。」
その後、医者として働きつつ、「アートにまた戻りたいな」とも思っていたと語る。コミュニティとの関わりが、その道を交差させていった。
「医学生の頃からコミュニティでボランティア活動をしていました。学校の生徒さんや、老人ホームの高齢者と一緒に、とか。そういう背景から、ソーシャリーエンゲージドや、コミュニティベースのアートプロジェクトに興味が生まれ、社会開発とコミュニティアートを組み合わせたようなプロジェクトに関わるようになっていったんです。」
葬儀場でパフォーマンスを。「テラ・ミャンマー」の構想。
ズニがテラジアに参加することになったきっかけは、2020年、タイの演出家ナルモン・タマプルックサー(ゴップ)の紹介だ。
「テラジアのアイデアを聞き、『テラ』の映像を見た時、すごく共鳴する部分がありました。私は演劇のバックグラウンドはないですが、パフォーミングアーツには興味があったので、テラをミャンマーに持ち込むことで、伝統的・文化的なタブー、つまりミャンマーのローカルな文脈においてタブーとされることについても、扱うことができるのではないかと感じていました。
またそれはアーティストだけでなく、コミュニティや観客にもためになるだろうと。死に対する考え方や文化的な文脈を、アートが繋げたり取り扱ったりできることを示す良い機会になると考えていました。」
まずは2020年当初の構想を聞いてみると、面白いアイデアを教えてくれた。
「パフォーマンスのシリーズを構想していました。ミャンマーの各地域、各民族それぞれの葬儀の伝統や、物語などを参照したパフォーマンスをつくってもらおうと考えて、アーティストや伝統音楽家、各地域の音楽家に声をかけていたんです。
ミャンマーは仏教国(上座部仏教)ですけれど、その大きな傘の下には様々なサブカテゴリーがあるため、多種多様な伝統があります。死生観もですし、死後どうなるかということも違う。地域や民族によっても異なります。
また、ヤンゴンとマンダレー両地のアーティストの交流の目的もあり、地域・年代・性別を超えて学び合えるプロジェクトにできたらと構想していました。」
会場は葬儀場でやろうとしていた、とも語る。当時、すでにプロジェクトの基盤は固まり、準備が進んでいたことがわかる。
「使われなくなった古い葬儀場を探しました。とある民族が使っていた葬儀場です。史跡を管轄している当局と繋がりのあるアーティストがいたので、実際に当局に掛け合って調整までしていました。」
そして葬式というモチーフを選択した背景には、ミャンマーの葬儀事情も影響しているようだ。
「ミャンマーだと、地域差だけでなく、亡くなった方が一般人かお坊さん(僧)かでも葬儀の内容が違います。僧のお葬式には特に豊かな伝統や文化があって、大編成のサイン・ワインだったり、伝統の舞踊や、決まった言葉(セリフ)が演じられたりするんです。修道院の長や仏教界の学位を持っている高僧になると、立派なお葬式になる。
こういった葬儀は少数民族に特化したものではなく、一般の人も参列できますし、偉い人が亡くなると地域によっては村や町の全員が出席することもあります。
でも最近のヤンゴンでは減少していて、他の地域に行かないと経験できません。私も僧の葬式には出たことがなくて。費用もかかるし、場合によっては一週間くらいやるんです。」
ミャンマーの葬式をモチーフに、プロジェクトが着実に進行していた2021年頃。国内の社会経済状況が急速に悪化してしまい、テラ・ミャンマーの構想もストップせざるを得なくなってしまった。
「全体で7〜9ぐらいのパフォーマンスを計画していたんですけれども。その後の情勢的に、すべてできなくなってしまいました。」
リスタート。トゥクマ・カイーデー・シアターとの創作へ。
パフォーマンスの計画が中断した後、未だミャンマーでは厳しい情勢が続いている。
そのような中、テラジアでは各国の参加アーティストが直接出会うミーティングが行われることとなり、ズニもミャンマーからジャカルタへ飛んだ。2022年9月のことだ。
アーティストたちはミーティングでアイデアを共有した後、各国で「テラジアオンラインウィーク+オンサイト2022」の準備や創作に入った。不安定な社会状況の中でも、ズニはミャンマーで創作を進めた。
「私はミャンマーにおける若い世代の役割や立ち位置に関心があったので、トゥクマシアター(以下、TKT)とともに、若者とテラ的なパフォーマンスをできないかと考え始めました。」
TKTとは、正式名称「トゥクマ・カイーデー・シアター」(「芸術の旅人」の意味だ)。演劇やパフォーマンスアートを中心に、市民の社会参画とコミュニティ参加を促す劇団として、ヤンゴンを拠点に国内外で活動している。
「ティラ・ミンさんがTKTの演出家で、代表・リーダー的なポジションです。彼のことは知っていたのですが、一緒に何かやるのは初めてでした。TKTのプロデューサーで俳優のソウ・モウ・トゥさんとは、以前とあるワークショップで知り合いました。
TKTはコミュニティと色々な活動をしていて、村に行って住民の人たちとトレーニングをしたり、色んな民族の人たちとも演劇のワークショップをしています。私もずっとコミュニティとの活動をしてきたので、その共通点からいつか一緒にできるといいなと思っていました。」
TKTとの協働で、フォーラム・シアター型の新作演劇の創作が始まる。まずは、ヤンゴンにいる18~25歳の若者とワークショップを行うところからスタートした。ではなぜ、若い世代なのか。
「今日のミャンマー社会において、若い世代は大きな役割を果たしており、私たちも感謝しています。2022年当時、これは私個人の関心でしたけれど、若者が実際どこにいるのだろうかと。国外に出た人、留まる人、出たいけど出られない人......。もちろん心理的に苦しんでいる人たちもいる。若い人たちが今、どこで何を考えているのかということに関心がありました。」
TKTは若い世代とも活動している。ズニは自身の関心をTKTのメンバーに話し、若者たちが死や死後の世界をどう考えているかという点をコンセプトの主軸にすることが決まった。
「通常であれば、成長時期にある若者にとって死は、遠い存在で考えないものでしょう。しかし様々な危機によって、彼らの前にも急に死が現れ、新しいトピックとして浮上したんじゃないか。未来だけではなく、死や死後の世界を、この状況下で若い人たちがどう捉えているのか。そういうことを知りたいと思いましたし、私たち上の世代がどう彼らをサポートできるかと考えました。」
若者たちにとっての死を探る
ワークショップはTKTと一緒にデザインしたという。ファシリテーションは、ズニとソウ・モウ・トゥ、パフォーマーのニャン・ジーが中心に行った。
「参加型のシアターエクササイズ、ドラマ、ゲーム、ストーリーテリング、質問、パフォーマンスなど、様々なアクティビティを使ったワークショップです。
私は、死について質問するワークを行いました。参加者の声を聞くために、まずは善行悪行について聞きます。殺しや盗み、人助けなど、ストーリーテリングの手法を使いながら、彼らの考えを確認していきました。次に、『善行悪行の帰結として何が起こるか』を考え、さらに『死をどう捉えてるか』と、死についての問いに移ります。これには色々な答えがあって興味深かったですね。」
ミャンマーは仏教国といえど、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教など、様々な信仰を持つ人々がいる。ミャンマーの若者たちにとっては、どういう「死後の世界」のイメージがあるのだろうか。
「ミャンマーに限らず、どの宗教も基本にあるのは、『良いことをすれば死後より良いことになる』ということですよね。仏教ならより良い形で生まれ変わり、キリスト教やイスラム教だったらより良い場所に行く。『因果応報』という考えは、結構みんな持っているんだと感じました。しかし様々な激動があったことで、本当に良いことをしたら良い場所に行けるのかとか、悪いことをする人たちばかりが勝つのかとか、そういった疑問が生まれてきたと思います。」
ワークショップは、ファシリテーターと参加者の様々な応答によって進んだという。恐らく、不安定な社会情勢も少なからず若者たちの思考に影響しているはずだ。
「例えばもし、良い意図のもとで、必要な人にあげるために盗むのは悪いのだろうか。より多くの人のためならば殺しは良いのだろうか。そうやって問いに変化をつけていくと、若い人たちの考えや回答も変化していきました。
そもそも、文化によっては死について語ること自体がタブーだったり、縁起が悪いとされて避けられてきた話題ですよね。それがコロナ以降、どの年代の人でもいつ死ぬかわからないという状況になった。そういう意味では、死について話すことが受け入れられるようになったのかなと思います。」
フォーラム形式の上演に接続する:『လှည်းဘီးရာများ 轍』
「このワークショップの記録映像と、参加者のフィードバックをまとめました。そこから、特に死や、今の状況についてどう彼らが考えているのかというワークショップでの成果をもとに、ティラ・ミンさんが台本に起こしていきました。」
2022年10月、ヤンゴンで『လှည်းဘီးရာများ 轍』の上演が行われた。観客は円状に座り、その輪のうち半数がワークショップの参加者だ。銅鑼の音が鳴ると、ござにくるまれた4人の死体が動き出す。現世と来世の間のような空間で、彼らは互いのそれぞれの行いに対して観客に問いかける。観客は白か黒の紙を質問のたびに投票する形式だ。
パフォーマーはこう問いかける。
〝観客の皆様、選んでください。彼はどこに行くのでしょう。白か黒か。どこへ辿り着きますか?〟
「フォーラムのように問いかける形式はティラ・ミンさんのアイデアです。あと、みんなで『テラ 京都編』とタイの『TERA เถระ』の映像を見たんですが、それらの問答のパートからもアイデアをもらっていると思います。特に『テラ 京都編』は、問答がすごく早いですよね。一人一人の答えを求めているわけではなくて、自問自答のような、自分を振り返るための時間なんだなということは、私たちの中でも話をしました。」
ズニは上演の中で起きた印象的な出来事を二つ語ってくれた。
「1人は、ゴングの音が怖いので輪の中には入らずに後ろの方に座っていました。暗くて怖かったと思うので、『出てもいいですよ』と言ったのですが、『出たくはない』と。投票のたびに後ろから票を入れにきてくれてました。
もう1人の方は、上演中に泣いていて。終演後にソウ・モウ・トゥさんのところに来て、『ハグしていいですか』と。彼の演じたキャラクターが、彼女の父親をすごく思い出させたそうです。そういう瞬間がありました。」
演劇作品ではあるものの、観客に問いかけ進行に参加する上演形式は、限りなく現実に接続するものであったろう。
「俳優は、『冒頭でゴザにくるまれていた時間が本当に死んだようだった』と言っていました。ちゃんとした葬儀がなされない方だと、ゴザにくるんでそのまま埋葬したり、火葬したりということが実際にあるんです。」
『轍』の次へ。生のエッセンスを携えて。
その後11月には「TERASIA Onsite 2022 in Yangon」の一環として、『轍』の映像上映と、作品についてのディスカッション、日本版・タイ版の映像上映が行われた。
一連の活動を経て、ズニは今後も見据えている。
「TKTとは今後も一緒に、新たな企画をしようという話はしています。 若者を対象に、TKTのドラマの手法と私の表現を一緒にしたワークショップやプロジェクトを、他の地域でもできたらと考えています。」
2024年には、テラジアの参加アーティストが一同に会する「Sua TERASIA」がインドネシアで開催される予定だ。
「新作か『轍』のアダプテーションかはまだ検討中ですが、インドネシアで参加型の作品をやるとなると、観客によって大きく変わると思います。前回はミャンマーのローカルな文脈を元にした質問だったので、観客に合わせて考えていく必要がありますね。」
最後に、テラジアの活動におけるズニ自身の変化を聞いてみると、こう答えてくれた。
「テラに興味を持ったのは死がメインコンセプトにあったからで、当初予定していたパフォーマンスも葬儀や死後の世界にフォーカスしたものでした。でもこれまでのプロセスを経て、『死』について考えたり語ったりするには、『生』をちゃんと考えなくてはいけないと思うようになりました。死について考えるには、『生が何なのか』というエッセンスが大事だと。それは自分の中の変化と言えるかもしれません。」
プロフィール
筆者プロフィール
本インタビューはJSPS科研費JP 22K13002の助成を受けて行われました。