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私の持つ第六感(のようなもの)


どうもです。

初回も書きたいことが沢山あるとお伝えしましたが、
まさにその通りで投稿する順番を悩んでいます。

ですが、まずはやはり、私の考える・感じる上でのベースとなる「私の持つ第六感(のようなもの)」からお話しします。(特に、5感の処理の仕方について)

第六感や第七感という言葉自体は私も聞いたことがありますが、専門家でもなければそのテーマの本すら読んだことがないので今回の見出しに固執せずに読んでいただけると嬉しいです。(私の持つ感覚を言葉にして噛み砕こうと試みているだけです。)

私の頭の上には雲のような
目に見えない「ふわふわしたもの」が浮いています。

浮いている感覚があるという言葉が適切かもしれません。

課題をする時やインスタを見ている時などただ作業をしている時にはその
「ふわふわしたもの」は何も感じることがありません。
何も気にすることなく、物事が進みます。

しかし、何もしていない(=考えている)時や人と話す時、何かを考えようとしている時に私の頭の上に浮いているものが反応します。

主に右側の目、耳、手や腕、頬から感じた五感が上昇し、脳内で収まり切らずに一度「ふわふわしたもの」に触れようとします。
その「ふわふわしたもの」の中で
脳内に収まりきらなかった五感+「ふわふわしたもの」が触れている空気感
が融合します。
(後者は、その場の環境や周囲の人の雰囲気か感じ取るもののこと。)
そして、何かが分かったら、左側から降りてきます。

👇イラストにするとこんな感じです。

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このふわふわのスゴいところ
①その場の空気(雰囲気)に適した判断ができる
②自分が感じるもの全てを「何か」にまとめることができる
③感情・感性を溜めておくことができる(=記憶として残る)

ふわふわの正体

何もしていない時にこそ、何故か機能しているこのふわふわは何なのか・・・とよく考えます。答えはまだ見つかっていませんが、現時点でこのふわふわは「私自身」だと認識しています。
自身が5感として捉えるものや浸る環境、空気感、関わる人…色々なものの存在がふわふわを介して今の私を生み出しているからです。
「あなた」がいるから私がいる。
目に見えない何かに境界線がなく、ありのままであるから、そう思えます。(そしてだんだん日本語が変になってきました。)

無限大の感受性

今回お話ししたふわふわは5感の処理に焦点を当てました。何となくは言葉にできましたが、私の感じるもの全てがこのふわふわに頼っている訳ではないし、全てがまとまって閃くこともありません。また、このふわふわにもまた別のお仕事があります。まとめると、感受性は無限大だなぁということです。

今、「あなた」はこの文章を読んで何を感じているのかな。
そのあなたが思ったことさえも、どこかで私の吸う空気になっているかもしれません。
この私の言葉に目を通してくれる人がいるから、伝えるために、この投稿をしました。


また、お会いしましょう
ばーい


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