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わたしと「わたし」と、生きていくこと

現在26歳、社会人4年目がもうすぐ終わろうとしている頃。大学時代の仲良い友人たちは、気づけばほとんどが数年付き合ったパートナーと婚約をしていたり、同棲を始めていたり、結婚式を挙げたりしている。

sns上では定期的に結婚のご報告や出産のご報告が流れるようになったし、その一つ一つにいちいち驚くこともなくなってきた。

「〇〇(わたしの名前)が皆に追いつく会」という名前のLINEグループの皆にあたる3人は、気付いたら全員婚約、結婚をしており、いよいよ追いつくことは絶対に無理だと思って、密かに「〇〇が皆を追いかける会」に名前を変えた。

大学を卒業してから、日々を一緒に過ごすパートナーもいないまま、気付けば年齢が「結婚適齢期」を迎えていた。小さい頃、いや大学生の時でさえ思っていた26歳のわたしと、実際の26歳のわたしは思っていたよりも全然違っていた。

パートナー不在のこれまでの3年半弱の期間、わたしは1人の人間としての「わたし」とできるだけ仲良くなろう、うまく支え合って生きていこう、という気持ちを強く持っていた。いつからこの感覚を持ち始めたかはよく覚えていないけど、これから一生1人で生きていくかもしれない人生の中で、最後まで自分の1番側にいられるのは自分だけである、と悟ったことが大きいと思う。

些細なことで簡単に離れてしまう可能性のある恋人や友人、いつかは必ずいなくなってしまう両親や兄妹、結局みんな自分以外の他人なんだから、自分が自分と仲良くしていなければ一生孤独になってしまう、と感じたのだ。

自分と仲良くなるために、まずは自分が嬉しくなる、心がときめく瞬間をたくさん見つけたいと思った。好きなアーティストのライブに行ったり、海外で開放的な空気を感じたり、気球に乗って朝焼けを眺めたり…時には日曜夜のほとんど貸切状態の小さな映画館で、エンドロールの音楽に紛れて大号泣したりした。自分がどんな瞬間に心が動いて、動かされて、どんな風に感じるのかを、もっと知りたいと思った。ポジティブな感情もネガティブな感情も、やり過ごさないで誤魔化さないで、きちんと見つめるように意識した。

そのために、わたしには一人で誰もわたしを気にかけない空間に身を置く時間が必要だった。はじめて一人旅をしたのもこの頃。大した計画は立てず、気の向くまま心の赴く方に足を運んで着いた場所は、やっぱり海が見える高い場所だった。

わたしが少しずつ「わたし」を理解して、良きパートナーとして励まし合いながら生きていけるようになってきた頃、周りの友人は続々と他の「だれか」と人生を共にし始めていた。自分とうまく生きていくことすら難しいのに、自分ではない「だれか」と生きていくなんて、大変すぎやしないか。というか、「だれか」と生きていく未来が全く想像できない、同棲とか結婚とか、まじで無理ゲーなのでは、、?できるできないの問題ももちろんあるけど、するしないの問題でもあるよね。というか、したいと思える人と出会えるかがそもそもの問題で、いわゆる運命の出会いなんて、そうそうないってことも分かってきて、運命の人は自分でつくっていくもの、とか、確証もないのにそんな労力かけられないよなあとか、色んなことを頭でぐるぐる考えては、「結局、理屈じゃなくて、落ちてしまうものだよね?」と、鐘がなる日を密かに待ち侘びながら、「一生自分で自分を養って生きていく未来」について想いを馳せては、「そうしていくには、人生長すぎないか?」という絶望を感じて、思考を止める。とりあえず今、明日、来月の生きる意味を見つけるために、ライブのチケットを購入したり、旅行の予約を抑えたりしていた。

だれかと生きる煩わしさと、「わたし」と生きる寂しさと、どちらをわたしは選択するのだろうか。

どちらを「耐え難い」と感じるのだろうか。

社会的な見られ方とか映り方も無視はできないだろうけど、それよりも自分がより納得して生きていけるのはどんな生き方なのだろう。

だれかと生きることで生まれる責任や制約などの「重さ」を背負っていくことを心地よいと感じるのか、わたしだけの自由さと快適さの「軽さ」によってふわふわと宙を漂うような、どこにも着地できない、でもどこへだって行ける日々を楽しめるのか、26歳のわたしにはまだ分からない。

結婚が全てではない、結婚しない生き方だって立派だ、と頭では理解しているけど、やっぱりどこかでだれかと人生を共にしたいという憧れが消えない。

だれかと生きていけない自分はいつまでも未熟者なのではないか、という不安だって心の底に溜まってる。

考えたって答えは出ないし、長期的な計画や戦略を立てることが大の苦手なわたしには、結局今この瞬間を自分が「いい」と感じる方に進めていくことしかできないのだけど。

いつかそう遠くない未来、何年後かにわたしがどちらか、もしくはどちらでもない生き方を選んでいるとして、その時に、今26歳のわたしがどんな気持ちでいたのかを思い出せるように、ここに残しておきたい。

きっと、「わたし」と仲違いさえしなければ大丈夫。そう信じながら、今夜は大好きな音楽と温かい湯船で、本日の「いい」を用意しようと思う。





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