そして115キロへ!
少し話が変わりますが…
残業が200時間…
そんな生活をしていると、
収入は良くても家庭はボロボロになっていきます。
23歳と若くして結婚。
27歳で長男、30歳で次男にも恵まれました。
1990年代。
バブルが崩壊し始めた当時ですが、IT業界はまだまだ好景気。
懐かしのWindos95による恩恵ですね。
当時は、まだまだ専業主婦が多い時代で、
男性が働いてお金を稼いで、家庭は妻に任せきりが一般的な風潮。
我が家もそうでした。
そりゃ、残業200時間ですからね… と、言い訳です(笑)
とはいえ、子供が大好きだった私。
なるべく家族と一緒にいる時間を作ろうと努力はしていました。
多分、今でいうイクメン?って感じ?(笑)
だと思いたい(笑)
しかし、結婚して月日も経つと、
疲労から土日は泥のように寝るだけの状態になっていきました。
マジで30歳前後の記憶が、ほとんど無い(苦笑)
若い頃から唯一の趣味だったビリヤード。
プロ・アマ合同のオープン戦にも参加したことがあるくらい。
本当に熱中していましたが、それもまったくやる気がなくなりました。
とにかく、時間があるなら寝たい…
だって、少ない月でも残業が100時間ほど。
当時は、ブラック企業なんて言葉もありませんでしたからね…
そんなボロボロな生活。
幸せだけど、それとはうらはらに、
子育ての一番大変な時期でもあります。
そんな生活が続いていくと、
やっぱり、夫婦もすれ違っていきますよね…
とうとう…
32歳で、私が子供を連れての別居、翌年離婚。
諸事情により、
子どもたちは私が引き取ることになりました。
今考えると、自分で言うのは変だけどイクメン?そこからのシンパパ?
時代の最先端を走っていたんだなー(笑)
しかしながら、
当時は「シングルファザー」という言葉自体がない時代だったんですよね。
世間では、男性が子供全員を引き取るという話は、ほとんありませんでした。
ですから、今では「一人親世帯」として男女関係なく同じ支援を受けられますが、当時は、母子家庭とは違い、男性に対して行政のフォローは全くありませんでした。
ですから、
男が一人で育てるには厳しい時代。
子供を連れて実家に戻りることにしました。
一人親なのに、保育園に入れるのも一苦労。
ようやく少し離れた保育園に通う事ができたくらいです。
当然ながら、仕事は大幅にセーブするので収入は大減少しますし、職場での立場も低下。
昔って、今ほど「働く人の権利」が確立されていませんでした。
有給休暇を消化しきる人なんて皆無。
今は法律で義務化さましたが、当時は年間で5日取れれば良い方!なんて人が、周りにはざらにいる時代でした。
そんな時代の飲み会ネタは、
不健康自慢にブラック業務談話(笑)
ですから、当然、突発的に有給休暇を取ること自体が難しく、女性でも子供の病気を理由に休むと白い目で見られます。
そんな雰囲気の中で、男性が子供都合で休みを伝えるんですから。
上司だけでなく、同僚、部下…
周囲の冷たい目が辛い時代でした。
そんな感じで、
経済的にも肉体的にも精神的にも、どんどん落ちていきました。
大変だったなぁ…
本当に本当に…大変だったなぁ…(遠い目)
でも、それでもシンパパを続けらられたのは、
両親のサポートのお陰だったんですよね。
私一人だったら、絶対に無理だった…
自営業を営んでいた両親。
共働きで忙しいかったんですが、時間的に自由の利く両親が、私以上に、孫の面倒を見てくれていました。
幼稚園の送迎、子供の宿題、学校の用意…
まかせっきりだった時もあります。
ですから、今でもまったく頭が上がりません。
本当に、それがなかったら…
多分、今頃まともではいられなかったでしょうし、
こんな記事も書けていなかったでしょうね。
大変でしたが…
でも、なによりの救いは、
子供たちがいてくれたこと。
この子たちの笑顔があれば、
どんなに辛くても大丈夫だー!
笑って乗り切ろう!と頑張れました。
とはいえ、
どうしてもストレスは溜まりますよね?
それが原因なのか?食欲が出るわ出るわ…
人間は、生きようとすると食欲が増すんですかね?(笑)
だから食べちゃう、
遅い時間でも気にせずに栄養補給?もくもくと食べます(笑)
そうやって、エネルギーを補給しまくった結果…
35歳を過ぎた時には、
お見事、115キロを達成!!!
おめでとう?
やっぱり私、才能があったんですね(笑)