見出し画像

これからの教師により必要な指導技術とSTEAM教育について

今の子供たちが大人になった時、Society5.0時代をウェルビーイングな状態で過ごしてほしいな・・・
彼らがより「自由」をつかんでほしいし、そのためには、自由になるための力能と感性を磨き上げてほしいな・・・
と常々考えつつ、主に教育政策の領域で普段の仕事をしている立場から、昨今「STEAM教育」について聞かれることも多くなってきていることとあわせて、掲題のことを考えてみました。
※教師ではない人間の、教育政策に携わる立場からの、個人的な一考察であり、個人の期待や「ねがい」という性質を持つ記事になります。
※「自由」を得るための子供たちの育み方については、最近発売された『子どもたちに民主主義を教えよう――対立から合意を導く力を育む』(あさま社)をご覧いただくと納得する部分が大きいかと思いますので、ぜひご購入の上、ご覧ください。

まず、STEAM教育について、とりわけ「実践」について、明確に「これだ!」と多くの人が合意・納得できるモノはまだないと思っています。
それくらい、まだまだ勃興から発展途上の教育実践だという理解です。

そんな中、私の考える「STEAM教育」のイメージは、下記の2点を押さえていることです。

  1. Science(科学)、Technology(技術)、Engineering(工学(ものづくり))、Art(芸術(リベラルアーツ))、Mathematics(数学)の専門性への入口的な内容が一般教養的な内容として多くの方が身につけられる教育

  2. 教科横断的な学びが発生する教育

では、この教育が「公教育」の実践に求められているとしたならば・・・
「教師の持つ知識を伝授する」という指導法偏重であれば厳しいと思います。
誤解を恐れず申せば、多くの方がそう思われるのではないでしょうか・・・

では、とりわけ、STEAM教育を推進する際、教師に必要な指導技術は何か?と考えた時、私は「足場かけ」の技術だと思います

学習・問題解決を促すために、大人・教師などが、ことばを使って、子ども・学習者をサポートすること」(上記サイトより引用)になり、今後、知識だけでずっと子供や学習者の上に立つ必要は薄くなると思うのです。

むしろ、知識だけでずっと子供や学習者の上に立つような姿勢では、社会の発展に寄与する「創造」を妨げることも往々にしてあると思っています。
※これは、教師に限らず、大人全てに言えることだと思います。

STEAM教育について、上記1の点を考察した時、たとえば高等学校において、数学や理科の先生であっても、S・T・E・A・Mのそれぞれの専門性において、生徒がより上を行こうとする学問知を発露しようとする可能性が高いと思います。
その学びを止めないよう、「先生もまだまだ勉強不足だけど、たとえばこの書籍を読んでみると、もっと専門的なことがわかると思うよ」などと支援をする、これが「足場かけ」だと思うのです。

そして、この「足場かけ」は、一定程度専門的な知識があるからこそ適切に発揮される技術だと思います。
専門的な知識がなければ、たとえば、どんな書籍を進めたらいいか、の選択眼などはほとんど身についていないと思われますから。。。

さらに、「足場かけ」の技術を磨き上げることができるのは、どんな職業よりも教師の皆さんが卓越していると思います。
なぜならば、児童・生徒の様々な言動に対し、瞬間で適切に反応し対処する瞬発力的な「対応力」は、どんな職業より教師の皆さんが優れていると思うからです。
従って、「知識は無料で手に入るから、教師はこれから必要なくなる」という言には、全く賛成できません。知識伝授一辺倒の教師の必要性が薄くなるとは思いますが、教師は、子供の成長に大きく寄与する存在として、いままでも、これからも、大事な存在であり、職業であると思います。

上記2の視点でも「足場かけ」が大切になると思います。
たとえば、歴史を学んでいるときに、数理的な事象に出会ったら、「化学の先生が詳しいと思うから、聞いてみたらいいよ」と言ってみる。これも「足場かけ」ではないでしょうか。
そして、この「足場かけ」をするために最も大事なのは、職員間が風通しが良く、学校全体の心理的安全性が保たれた、高信頼性組織であることだと思いますし、その組織を作るために校長はマネジメントしてほしい、とねがいます。

上記で表現されたような「足場かけ」の実践は、中学生・高校生の授業において、教育関係者以外のみなさんにも想像しやすいのではないかと思います。
それでは、複数教科の授業を教師が受け持つ小学校の場合、どのような授業がSTEAM教育(的)と言えるのか、について、考えてみると、私のイメージは、下記のような感じです。

・児童は、「学習の個性化」の視点において、個別最適な学習を進める。
・教師は、「指導の個別化」の視点において、個別最適な学びを支援する。
・上記1の意味での、STEAM教育における教科的な専門性は、中高ほど高度なものは必要はない。そのため直接自分の知識の範囲内での足場かけがしやすい。
・一方で複数教科の授業を受け持っているため、教科横断的な指導は自分で完結できるよう技術を磨くとよい。

小学校の先生は、専門性の高い思考までは距離のある子供たちに、「個別最適な学び」が生まれるような支援をすることにより比重があり、中学校・高校の先生は、一定程度個別最適な学びが生まれている子供たちに、より専門的な、より教科横断的な思考が生まれるよう支援する、というイメージ、とも言えるかもしれません。

このように、STEAM教育の視点で考えても、繰り返しになりますが、「知識は無料で手に入るから、教師はこれから必要なくなる」という言には全く賛同できません。
むしろ、「足場かけ」の技術と重ねて、教師の役割は今以上に重要になってくると思います。

※業務にて、ELDI(情報教育支援プラットフォーム)のnoteを綴っていますので、よろしければご覧ください。情報教育や探究学習に興味がある先生方は、ELDI の公式Webサイトから入会登録されれば、メール等でも情報が届くようになります。

いいなと思ったら応援しよう!