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映像始めたきっかけを書いてみる。(その2)

TERAMAKIです。

このノートは「映像始めたきっかけを書いてみる(その1)」の続きです。
今回はVJ編。

●VJとの出会い
●師匠との出会い
●いきなり六本木
●いろんなVJ

VJとの出会い

2000年~2007年はflashは黄金時代と呼ばれ、アップテンポな音楽に合わせてクオリティの高い作品が沢山作られていた。
その頃はまだ今のようなSNSがなく、各々が自由にサイトを作り、似たようなカテゴリを集めた「ポータルサイト」というものが存在していた。
そこで、自分が行きたい音楽イベントを見つける。

これだ。ここで自分が作った映像を流したい。 

たどり着いたのがVJという存在だった。

●VJとは●

VJとは、ビジュアルジョッキーの略。クラブなどで音楽に合わせてスクリーンに流れる映像を演出すること。(かなり省略)

師匠との出会い

少しでも面白いflashを作るべく、本屋でflashの書籍を見付けては片っ端から買っていた。しかし、flashの本は私にはかなり高額。flashはVJ素材を制作するのに必要不可欠だった。

この頃はまだGoogleが認知されておらず、ネットで必死に調べてflashファイルを公開しているサイトを見つけた。

そのサイトには何故か「全国VJリスト」があった。今では考えられないけど名前と連絡先が公開されていた。(flashファイル公開はVJさんの為だと思われる)

片っ端から連絡してみよう。

50人ぐらいだろうか、「VJをやりたいです。やり方を教えて下さい」的な、メールを送った。迷惑にも程がある。

しかし一人返信をくれる方がいた。

「今ツアー中なので、戻り次第連絡します。」

いきなり六本木

連絡をくれた方が、今でも師匠と呼ばせていただいている谷田光晴さん。現在会社代表で、メディアプランナーとして活躍されている。
関西の方なら、もしかしたら見たことのある作品があるかもしれない。https://www.spiceofcreation.com/

あの時VJとしては珍しく、スポンサーもついて全国のクラブをツアーでまわっていた。

そしてその日のうちに再度メールが届き、すぐにやりとりが始まった。師匠は忙しい今でも返信がとにかく早い。珍しく遅い時でも(半日)、必ず「連絡が遅れて申し訳ありません」と入っている。

運良く近くでVJすると聞き、飛んでいった。ずらりと並んだ高額の機材に、見たこともない太いケーブル。
なんの躊躇もなくブースに入れてくださり、機材も触らせてくれた。小さい頃からAV機器が大好きだったので嬉しくてたまらなかった。

これはもう、やるしかない。

それからトントン拍子でイベントの出演が決まり、気付けば私は六本木のクラブに立っていた。
六本木ヴェルファーレ(元ジュリアナ東京)・・・の隣。笑。

怖い物知らずにも程がある。

いろんなVJ

2005年、六本木から始まり、渋谷、心斎橋、名古屋、岐阜。
まだまだ子育ては大変な時期。色んな方に協力してもらいVJ活動を続けていた。
音楽だけでなく、ファッションやアートなど幅も広がっていった。
場所も、ダイニングや美容室、古民家など。

夜な夜な、VJの素材制作の日々。(昼間は働くワーママ)

つづく

映像始めたきっかけを書いてみる。(その3)|TERAMAKI|note(ノート)https://note.mu/teramaki/n/n1ce541bf2143

※topの画像は愛してやまないVJ機材「V-4」

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