映像始めたきっかけを書いてみる。(その3)
TERAMAKIです。
このノートは「映像始めたきっかけを書いてみる(その2)」の続きです。
最初から読んでみたい方は👉コチラ
今回は最終回。
●SNSのはじまり
●2011
●映画ワークショップ
●そして現在
SNSのはじまり
師匠から、VJに関して有益な情報を得られるから使ってみてはどうですか、と紹介制のサイトを教えてもらった。新規で加入することは出来ず、必ず誰かの紹介が必要だった。それがミクシィ。
自分の興味のあるコミュニティにどんどん参加し、あっという間に活動の場が広がる。
私の活動を見て、どうしてもVJして欲しいと猛烈なアタックを受け、ファッションイベントのレギュラーVJとなる。バーレスクのような、Sexyで華やかな演出がとてもたのしかった。
足跡👣って思い出した。懐かしい。
2011
約3年近くだろうか?1年に4~5本のVJを抱えていた。1つのイベントに準備が3ヶ月以上はかかる。毎回コンセプトを確認したり、DJがかけそうな流行りの音楽を聞いたり、bpmごとに素材作ったりと大変な日々だった。
人が嬉しいと思ったら私も嬉しいという気持ちが人一倍強い。だから誰かが喜んでくれるためなら一生懸命頑張る。毎回やりすぎで単なる迷惑である。
小さい頃からそうだった。だから母親の口癖は
「そんなに一生懸命やってあげても自分には何もしてくれないよ?」
そして2011年3月。
想像を絶する悲しみに襲われた。
そして無気力になった。
私は何をやっているのだろう。
イベントから足は遠ざかり、何もしなくなった。
(のちに、私にVJの猛アタックをしてくれた彼女から結婚式のビデオ制作を依頼された。)
映画ワークショップ
1通の手紙が届く。それは3日間で映画を作るという市が企画したワークショップの案内。
「3日間で映画?面白そう」
講師は名古屋でも有名な映画館「シネマスコーレ」の支配人。
●シネマスコーレとは●
若松孝二監督が立ち上げ、アジア映画、日本映画、インディーズ作品などを中心としたプログラムを上映する映画館
10名の新規参加者と、10名のワークショップ経験者が2チームに別れて作品をつくった。
VJは一人で準備が出来る。でも映画は違った。自由気ままに制作は出来ないし、とにかく時間との戦い。スリルを味わった時と似ていたからか、あっという間に映画制作の虜になった。
ちなみに3日間で映画というのは無理でした。
そりゃそうだ・・・。
そして現在
2012年のワークショップを機にCG制作ではなく実写を撮影する楽しみが出来た。最初は子供の運動会用のビデオカメラを使用していた。
そしてついにFZ1000という、1インチセンサーのカメラを購入。ハイスピードも撮影出来るし、フルサイズに比べたら画質は劣るが、私には充分であった。
のちに、まちおこし映画や芸術家の方々と一緒に展示会に映像を出品するようになった。そして障がいを持つ子供を育てた経験を生かし、福祉施設での撮影依頼もいただいている。
現在愛用のカメラはpanasonicのGH5。
機材はすべて、映像での報酬で購入することに決めている。
自分の記録用にと書き始めたら想像以上の閲覧数でした。14年間を一気に書きましたが、細かい事はまたボチボチ書いていきます。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
※topの画像はダウン症で言葉がないのぶさんに向き合って制作した映像作品「ありがとう」のワンシーン