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寺子屋の取り組み紹介 ⑨
私は、高校を卒業するまで本を全くと言ってよいほど読まない子どもだったけれど、大学に入学した途端に、一時は活字中毒かと思うほど本を読むようになった。
文章を書くのは、幼いころから嫌いではなかった。
私が、文章を書くことも、本を読むことも好きになったのは、両親や周りの大人が読み聞かせをしてくれたり、本を読めと言ったりしたからではない。本を読めと、学校の先生には言われたが、両親に言われたことはない。周囲の年長者自身が、本を読み、私は、本に囲まれ、手を伸ばせばいつでも、望めばいつでも手が届くところに本がある環境で育ったからだと思っている。
「本を読め」と、子どもたちに言いながら、自分自身が読まない親御さんも、家に本や辞書がない家庭も多くなっていると感じる。子どもたちが勉強しないのも、「勉強をしろ」と、言いながら、自分たちが勉強する姿を見せていない親御さんが多いのではないかと思う。もちろん、子どもたちの横について彼らの課題を一緒にするのは、大人たちの「勉強」にはカウントされない。
私の父は、広辞苑を枕にして、昼寝をする人だった。笑
父の周囲には広辞苑、大英和辞典などがいつもあり、分からない言葉はメモをし、調べる。そして、また調べたものをメモしていた。
つねに数社の新聞をとり、父は家にいるときはずっと新聞を読んでいた気もする。合間に、裏の白い広告をためておき、それをメモ代わりに机の傍らにいつもおいていた。
私は、幼いころから、そんな父とテレビを見たり、新聞を読んだり、話をしたりするのが好きだった。私が幼いころから、質問をすると、父は時間があるときは、すぐに答えを言うのではなく、一緒に調べる時間をとってくれた。
母は、いつも挑戦することを厭わない人だった。末娘の私が高校生になり、時間ができると、パン作り、フランス語、英語、ワープロなどなど、忙しい合間をぬって、何かをしていた。
その環境が、私を大学院まで導き、今もなお、私の学びと生活の土台となっている。
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だから、私は、寺子屋に本を飾る。漫画を並べる。子どもたちが読んでくれるかどうかはわからないけれど、卒業後に「そういえば、あそこに行けば、あるかもしれない」と思って、お顔を出してくれて、借りに来てくれるのでもかまわない。
子どもたち、若者たちが、手を伸ばした時、手が届く場所に書物を置いておきたい。
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