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子どもたちの居場所・帰る場所に

1991年に父が閉じてしまった塾を、名前を変えて再開させるとき、父娘は、大議論(大喧嘩)を繰り返しました。

父は35年ほど営んでいた塾を閉じるとき出した広告でー

進学塾への過熱する期待への批判をし、家庭での学習の大切さを説いています。そんな自分の娘が「塾」を再開したいと言い出したことを受け入れ、理解することが難しかったようです。

地域教育の場としての塾

それでも、父の塾を継ぐこと、そして「塾の先生」になることは、唯一変わることのなかった小学生のときから夢であり、高校留学から帰国後「地域教育の場」としての塾を目標として、大学でポルトガル語を、アメリカの大学院で都市・地域計画を専攻し、アメリカの日米協会や日本の町役場でのインターンをし、大学院卒業後、県議会議員の後援会事務所での仕事をしてきた私には、あきらめきれない選択だったのです。

そして、3年目の終わりに新校舎を建設

新校舎には、玄関に小さいけれど、アットホームなロビーがあり、在塾生がお迎え待ちをしたり、くつろいだり、ゲームをしたり、お話をするために使える空間、また、卒業生も気軽に立ち寄り、近況報告、後輩たちの相手をしてくれる場となっています。また、新校舎の大掃除は、毎年卒業生と在塾生などの協力を得て行なっています。

新校舎は、兄弟姉妹が減り、地域にも子どもが少なくなった現代、子どもたちが少し年上のお兄さん、お姉さん、ちょっと年下の妹や弟を見ながら、自分の成長と目標を知るーそんな場としての塾の役割を実感する空間となっています。

そして、コロナ禍が始まり

進学や就職で県外に出た卒業生たちが帰省時にお顔を見せにくくなり、毎年恒例だった大掃除参加者対象の掃除後の忘年会が中止になっています。

残念ながら、子どもたちが、少し年上の目標とする姿を見たり、お話を聞いたり、自分より小さい子どもたちの世話をする機会が減っています。

そこで、改めて、在籍中は勉強だけではなく、日常生活を語る自分の居場所として活用し、卒業後も、自分が帰る場所、自分が歩んできた道を振り返る場所としての塾の役割強化をしていくことはもちろんのこと、今まで以上に地元に残り、地元で進学、就職する若者のサポートをすることで、次に続く子どもたちが、いつも少し先の目標を見出し努力できる空間のままでいたいと思っています。



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Terakoya Kamei
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