大学に行くということ
今年度の大学入試が始まっているー
生徒たちの進学への姿勢、大人たちの受験への考え方を聞いていると年々、学生は、大学に何を求めて進学するのだろうかーと考え込んでしまう時間が増えていく。そして、大学は生徒に何を求めているのか・・・と疑問に思うことも多い。
入試の形が多様化していて、将来の希望や目標を志望理由書などで求める大学も多い。そんな夢も希望も目標も4年間で変わるだろうに、変えざるをえなくもなるだろうに・・・。また、目標を掲げそれに向けて綿密な計画を持って、熱く語る若者は、逆につぶしが効かなくて、それがうまくいかなかったときの挫折感が彼らを悩ますことも少なくはない。
その志望理由書や面接の準備に多くの高校の先生方が多くの時間を割いている。学校の先生たちも、生徒たちに具体的に職業や希望を示して書くように指導することが多いようだ。にわかに、または、生徒がある程度の期間煮詰めてきた職業を選んでそれについて書くーもっともらしく書かれているけれど、一般化されていて、その先を一緒に過ごし、見てみたいと心躍らせるものは少なく、首をかしげることも多い。学校の先生も、生徒もその体裁が整っていることに満足しているようけれど、果たして、大学の先生たちがどのように思っているのだろうかーと、毎年のように考える。少子化で、疑問に思っても受け入れることが多くなり、そんな志望理由書ばかりが増えていく悪循環に、大学の先生方のため息が聞こえてきそうだと想像して、苦笑してしまう。
大学は、自分の可能性と向き合う場所ではないのだろうか。
これになりたいから、この大学は私の将来に役に立つという発想ではなく、今までこんな風に目標を立てて頑張ってきたので、この大学でもっと視野を広げて、深く、広く考えたいー。今まで流されてきて、あまり多くを考えてこなかったけれど、この学部で勉強して将来の可能性を考えたい。
そう思ってきてくれる生徒を、大学は求めてはいないのだろうか。
私にとっての大学生活は、人生の夏休みのような4年間だったけれど、少なくとも大学院に進むころには、自分の将来へのビジョンを持っていた。そして、一生ものの友人がたくさんできていた。