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私は、あなたの力を信じている

もう30年以上も前のことだけれど、1か月ほど東京の姉の下宿に滞在して私は、3つの大学の入試を受けた。試験の日の朝には、両親からモーニングコールがあったが、毎回、母が

「あなたが解ける問題をみんながわかるとは限らないけれど、あなたが解けない問題は、みんなも解けないから、自信を持っていってらっしゃい。」

と、私を送り出した。「そんなあほな」と笑いながらも、その言葉に私は心強さを感じていた。

そんなことを当然のように口にする親に育てられ、私は自然に「なぜ勉強をするのか」に対しての自分なりの答えをいつも持っていた。

今、子どもの多くは、高校生になってもその答えを持っていない、または、その答えを誰かが与えてくれるのをいつまでも待っているようにも見える。そして、彼らの周囲の大人たちは、子どもたちの勉強の先にあるものを想像せずに、ただ、勉強をしろと言っているだけのように見える。

私の父は、英語を教えていたー

父は、私に直接英語を教えることはなかったが、外国語は、自分の世界を広げるための道具でしかなく、習得が最終目標ではないと語っていた。そして、彼は、いつも物事を知る喜びや意味を生活の中で語り、調べたり、話したりすることを楽しんでいた。

私の母は、数学を教えていたー

母は、私に、物事の考え方、とらえ方を生活の中で伝えていた。家事を手伝わせながら、様々な場所に出かけながら、わかることの楽しさや経験することの大切さを伝えようとしていた。やはり、私は彼女に、数学そのものを教わることはほとんどなかった。

私は、両親との会話、ふれあいの中で、学んだことを深め、役立てる方法を身に着けていた。そして、その考え方、とらえ方は、今も私の支えになっている。

父が亡くなる少し前に、思い出話の中で、私の大学受験のときの話をしたことがある。父は、12月になって急に「滑り止めを受けさせない」と言い出したのだ。そして、40歳になったその娘を前に、父は・・・

「僕は、君の力を信じていたから。」と、言った。

父も母も、私を勉強のことでほめることはなかった。勉強は、して当たり前、できて当たり前だと考えていたのかもしれない。

母は、いつも「あなたは私の子どもだから」と笑っていた。

まずは、親が子どもの力を信じることー。そして、それを彼らに言葉ではなくて、言動で示すことーそれが、子どもたちの学ぶ軸と力を作り出していくものだと私は信じている。


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