何のために学ぶのか・・・
「分かる問題を持ってきてください」
夏休み中、学童保育に通っている寺子屋生が塾の宿題を学童保育中にしていて、「わからない!」といら立ちを見せたところ、お迎え時にお母さんが先生に言われたという。
その報告に、私は、まずは面食らい、週末を越えて、憤っている。
お母さんは、「学童では教えないということになっているので」とおっしゃっていて、ほかの大人も、仕方ないという反応だったのに、私は大いに疑問を持った。
学童保育は、子どもたちが大人の目のある場所で、放課後を過ごすための場所だと私は理解している。そして、それは、夏休みも同じこと。
そして、「分かる問題」って何?
宿題は宿題。宿題はわかる問題ばかりとは限らない。宿題は、今日、学校でしたことが、または今までにしたことが、わかるかどうかを確認する問題だったり、これから学習する予習だったりするはずだ。どうしたって、皆がわかる問題ばかりではなく、わからない問題だってある。
それを、説明する義務は、保護者の方にも、学童の先生にもない。
それだけのことではないのか?
子どもたちに、「きちんと取り組んで、わかるところまでていねいに書いて、わからないところは、学校の先生(または塾の先生)に聞いてこよう」と声掛けをしたらよいだけではないかと思うのだ。
一方、別の学童保育に通う生徒の宿題は、直したあとが結構たくさんあるのだけれど、必ず正解になっている。
だから、とりあえず、宿題を添削し、何の問題もなく次に進もうとしたら、宿題でできていた問題にことごとく躓く・・・なんてこともある。
学童に通わない生徒たちでも同じようなことがある。
「ここが分かってないみたいで」と鬼の首をとったかのように、宿題について報告のあるご家庭もあれば、いちいち直してあり、ひどいときは大人の字にしか見えない字で書かれたまま提出される宿題もある。
宿題がなぜ必要か、
と、問われれば、私は、学習の仕方を学ぶためだと答える。そして、自分の得手不得手を自分で確認するためでもあるかもしれない。
分かっているつもり、できているつもりを無くすために繰り返すこと。
自分がわからないところを理解すること。
自分がわかっていることを確認すること。
自分の弱点と強みを知ること
現代っ子が本当に苦手だなぁと思うことだけれど、それは、たぶん、周囲の大人の子どもたちの能力と勉強の意義に対する誤解から来ているように思えてならない。
いただいたサポートは、子どもたちの学ぶ環境づくりに使わせていただきます。よろしくお願いいたします<m(__)m>