
ときどき考えること ㉚
先日、SNSで銭湯や温泉で、男の子(最初は2、3歳児の話しだったようだけれど)が女湯に入ることについて、お父さんが一緒に来ているのに、なぜ男湯に行かないのかー
なんて話から・・・
白熱した意見のやり取りになっているのを読んで、ため息が出た。
読んでみると
この銭湯や温泉では未就学児の性別とは違う側の湯に入ることを許可している(大概、男児がお母さんとともに女湯に入って、女児が男湯ということはほとんどないようだけれど)。
けれど、不快に思う女性がいる。
不安に思う女の子がいる。
そして、そもそもお父さんが一緒なら、男湯へ行けよ
というような話らしいーということがわかった。
子どもたちへの対応の昨今の世間の意見と、その意見への過剰な反応は
子どもたちを置いてきぼりにしていると感じることが多い。
私が気になったのは、「お父さんがいるなら、男湯に行けよ」とか、「子どもがそんなときに『ママがいい』っていうんだったら、日ごろの男親の育児への関わり方の問題」とか、「それができないなら子どもが小さいうちは、銭湯や温泉に行くのを我慢しろ」「内風呂使え」という意見だ。
今のイクメンだとか、家事育児の分担、女性の社会進出などの流れから行くと、正論に聞こえるのだけれど・・・
お父さんが日ごろから育児に関わっていても、お父さんが男湯へ連れていきたいと思っていても、お母さんもできればお父さんに入れてほしいと思っていても、人の集まるところでは、お風呂では、今日は「ママがいい」という子どもの気持ちは考慮に入れていない正論に、日ごろ子どもたちの心と社会性の育成に苦慮している私は、胸が締め付けられるのだ。
大人の理屈や正論はときに、子どもたちを苦しめる。
幼稚園に通う年齢になった未就学の子どもなら、少しずつ「公共の場」に慣らし、社会で生きることを教えるという意味でも、お父さんがいるなら少し嫌がっても「男湯」に連れていくようにするのが良いのかもしれないけれど、2,3歳の子どもはまだまだお母さんにいてほしい年ごろでもあると思う。
特に、男の子は母親と離されることに対する不安を、女の子以上に感じると聞いたことがある。
そして、日常を忘れての温泉旅行や、家の狭いお風呂場を少し抜け出してみる息抜きも子育て中のお母さん、お父さん、そして小さな妹や弟のいるお兄ちゃん、お姉ちゃんたちに我慢することを要求する世の中は、世知辛いー。
どんなに正論に聞こえても、走り回ったり、泳ぎまくったり、ほかの人たちを危険にさらしたりせずに、ただお風呂に入りに来ているだけであれば、「不快だという理由」や「お父さんが見ろよ」では・・・ルールを破っているわけでもない以上、優しくない社会だなと私は思うのだ。
もちろん、不安に思う女児たちへの対応も考えなくてはならないし、男児の言動にもできる対応はしなくてはいけないだろうけれどーこれは双方の大人の対応で不快さや不安はある程度拭えるはずだ。
それができない社会は、大人になって、自分たちが幼い頃、無意識に強いていた世間の不便や迷惑を感じ、学んで自らが次の世代を育成する機会も失うと、私は思う。
一方で、不快に思うことや、それについてつぶやくことは悪いことではないと思う。でも、そこでいろんな意見を言い合い、気づきがあるのも事実だけれど、人と文化、国の数だけ正義があると言われるように、人それぞれの正義があることを忘れた、過度の議論や粗い言葉での主張は、恐いと思う。また、銭湯や温泉は、この国の文化でもあることを考えると、この議論が子育て中の人たちにルールを守っているのに、銭湯や温泉に行くことを過度に自粛させる方向に向かうとしたら、この国がどんどんおおらかさを忘れ、寛容でなっていることを表しているようでやるせないなと思う。
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