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寺子屋こぼれ話 ⑥ 夏の怪談 編 笑

これまた、土曜日ー

1階の教室で、授業をしていた小学1年生くんが途中で、「お化けがいる」と言って騒ぎ出した。

そして、そのいるというお化けと会話(言い合い?)をし始めた。

自分が好きな課題のときは、調子よく進んでいたのに、嫌いな課題になった途端に、そんなことを言い始めたので

アシスタントと私は、笑って放っておいて、課題の説明をしたり、ほかの生徒の質問に答えたりしていたけれど・・・

あまりにその演技(じゃないかもしれないけれど)が、真に迫ってきたので、となりでサポートをしていたアシスタントくんが

ー先生、ちょっと本当に怖くなってきました。

と、言い出し、小学1年生くんの声も一層大きくなったところで、私の雷が落ちた。

初めての私の雷に、かなり衝撃を受けたみたいだけれど、お化けもいなくなったようで、課題を終わらせて授業は無事終了。

一方、2階の教室では、その小学1年生の声がかなり長く聞こえていたので

中学生、高校生とスタッフは、私の雷が落ちるのを、今か今かと待っていたらしく

あ、やっぱり落ちた💛・・・という感じだったのか、

あとで、私が上の教室を覗くと・・・

とてもうれしそうな笑顔たちが待っていた。 笑

長く通っている生徒たちは、自分じゃない生徒に私が雷を落とすと嬉しそうだ。

大概が、自分もいつか来た道。

叱ることは、ほめることの対極にあるわけではない。だから、

ほめて育てる=叱ってはいけないということではない。

寺子屋では

ほめるときは、ほめる。
だけど、叱るときもしっかり叱る。
厳しさの対義語は甘さであって、優しさではない。厳しさは優しさの一部だ。

が、いつもの私の主張。

子どもたちの失敗も、子どもたちがする悪さも、私にとってもいつか来た道だ。叱られたり、どやされたり、それも、私にとってもいつか来た道だ。

だから、なおさら、しっかり叱って、きちんとできるようになったとき、しっかり褒める。

この仕事はその繰り返し。この1年生くんもいつかは、2階で笑っていられる子になってくれると信じている。

一方、このお話には不思議な続きがある。

私の雷が落ちたとき、上の教室にいた人たちは、小学1年生のロングトーンで叫ぶ声が聞こえていたという。でも、私とアシスタントくんには、彼は、たしかにずっと騒いでいたが、ロングトーンに叫び続けていた記憶はない。

もしかすると、本当に、お化けはいたのかもしれない。 笑

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Terakoya Kamei
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