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なぜに今更モノクロか?
昨年、年末より僕は写真を生業にしてきた中で、また、一つの疑問に差し当たってしまい、結構、ヘビーな所に落ち込んで中々抜け出せない日々を送ることとなった。
この、デジタルが普及し、綺麗なカラー写真が何時でも、誰でも、それは簡単に画像として残せるこの時代に、何故に人は色のない世界を写そうとするのか?あたかも、それが何か、それ以上に、それと比べより高く、より高貴に思えるとしたら、それは、僕らその世代に対して、きっとそれ以上、高くあり続けることができない為の、一種敗北のようなものなのかも知れないなどと思う。
この道を志した時から、それは多分、時代もあるし、僕ら写真を撮る者たちは、時代時代に即した道具を選び、それを使い撮影なる行為を重ねていく。
僕は1980年代、20歳そこそこ。
九州の小倉から東京に上京し写真を本格的にはじめた。
当時は、その所謂貧乏な一般的な学生であり、大久保の4畳半、風呂なし、25000円のアパートに住み、バイトをしながら暮らしていた。今も昔も変わらず写真と言う物には何かと金がかかる。
今のようなデジタル世代ではない為、今のように次から次に出てくる新しいカメラを追いかける必要はそんなにない時代だけれども、今と違い、シャッターを押すたびにフィルム代、現像代、プリント代、それに面倒な手間が間違えなくかかっていた。
僕は、何時、写真で食えるようになり、フィルム代や現像代など気にせずにシャッターをバンバン押せる日がくるのを夢見て、ポケットの中の一本のトライX36枚撮りをみみっちく残り枚数を計算しながらシャッターを押していた。
そんな事なので、現像もプリントも、その大久保の4畳半のアパートの半分のサイズの押し入れを工夫して引き伸ばし機を入れて夜な夜なプリントしていた。それは、せいぜい六切りが良いとこで、大体がキャビネサイズであった。
何が言いたいかと言えば、僕はその時代、もし金銭的に余裕があるのなら、モノクロなんてやりたくはなく、それはカラー写真、リバーサルなんかがやりたいと何時も思っていた。
そんな時代から、月日は流れ、今はその行為100%がデジタルに置き換わり、その道具には何もせずに、凄くカラーバランスの取れた高精細な写真が
何の努力もなく、写し撮ることが出来るようになった。
昔描いた夢も、一度道具が揃いさえすれば心置きなく何度でもシャッターが切れる時代になったと言うのに、馬鹿馬鹿しいことに、その道具にはモノクロモードが付いており、さらに100万円もするモノクロしか撮ることのできな高価なデジカメなども存在する。そしてそんなカメラが凄く売れているらしい。困ったものだ、とは言わないまでも、まぁ、一度、使ってみたいな、などと考える自分がそこに居るのは事実である、
僕らの時代は特にそうなのかも知れないが、その写真の根幹には今も変わらずフランクや、クラインのあの写真があり、森山大道や中平卓馬などの質感が、ことモノクロに関しては、凄く重く、それらの時代と重なり、それは亡霊の如く、それを考えるたびに、背中に何時も重くのしかかっているような気がする。
モノクロでそれを表現しようとした場合、それは先人がありとあらゆる人、物、風景でも何でもいのだが、撮り尽くされ、そこは荒れ果てた大地の如く枯れた荒野が広がり、それは撮るたびに、そこには誰かの食い残しような残骸、どこかで見たような、そんな写真ばかりに今も苦しめられる。
この時代にそれを志した者たちが、全てそうだとは限らないにせよ、その時代に関わった僕から見て、その時代すごい写真の撮っていた者たちは、少なからず、自分しか撮れないもの、その写真を見て、すぐに誰々みたいだね。などと言われない、誰かの真似に凄く恥を感じ、真っ向からオリジナリティみたいなものを手に入れようとと戦っていたように思える。
それは、何かを真似することに何の価値も認めず、それはただただ自分にしか撮れないであろう写真のみが、それは価値であり、それだけが自分を自分としの存在の意味であるように、僕にとって、それが全てであると言わんばかりの世界だけが現実だった。
実際、きっと、僕のボンクラな頭であっても、何となく、そんな幻想はあるはずも無いとは薄々気がついてはいたのだけれど、それに巻かれることは、僕の価値観には凄くダサくてカッコ悪く認めたくはなかった。
人間のオリジナリティなどまやかしであり、人が生まれて何かに触れ、そのアイディアなり何なり、全てが先人たちの功績の積み重なりのその上に、ただ真似事を繰り返していた自分がいる事、それ以外に何者でもない。そんな現実を薄々気がついていたが、それを認めたくなく、それを否定して孤高にやり続けることのみ、やる価値があるなどと、若き自分はそんな事真剣に信じて、それを引きずり、引きずれば引きずるほど、どんどん世界が狭まり、孤独にになり、他者や物事を否定し続ける、辛い世界に落ち込んでいってしまった。
・・・続く